第32章 クレオパトラの真珠(縁下力)
というわけで、私は今朝図書館へ来た。
縁下は既に自習室にいて、向かいに座った私に気が付くと優しく微笑むだけでノートに視線を戻した。その態度にまた怒りが込み上げてくる。おい、久しぶりの彼女だぞ。図書館なのにちゃんとお洒落をしたんだぞ。有難くないのかよ。もっとテンション上げてくれよ。
夏休みのいつもより人の多い自習室で、紙とペンと空調の音しかしない自習室で、私は静かに怒りを燃やした。課題だってヤバいと言っていたわりに私よりも縁下のほうが進んでいる。あぁそうか私が怒っているとわかっていたから図書館にしたのね、ここなら大声出されないもんね、と勝手に捻くれて勝手に落ち込んだ。喧嘩になるたびに私が一方的に喚き散らすその声を、縁下はいつも苦手だと言っていた。
勉強する気にもなれず、机に突っ伏して腕の隙間から縁下を見上げた。私と目が合うと、また優しく微笑んでくれる。でもそれだけじゃ、私の心は満たされないんだ。
机に置かれた縁下の左手を握った。彼の右手が伸びてきて、ゆっくりと私の手首を掴んで引き剥がす。自由になった両手で消しゴムを使い始めた彼にムッとして、机の下のその足を爪先で軽く蹴った。そしたら逃げるように椅子を移動された。
構って欲しい。
黙々と勉強する縁下の前で、私はわざと不機嫌を態度に出した。乱暴に頬杖をついて、貧乏ゆすりをした。それでも彼は困ったように笑うだけで一向に構ってくれない。
為す術もなく、私は縁下を見ていた。そして知らないうちに集中している彼に見とれていた。というわけで、冒頭の通りたしなめられたのである。
なぜ縁下は優しいのに他人の怒りにはこんなに鈍感なのか。
私がどんな気持ちで目の前に座ってるかどうしてわからないのか。
部活で忙しいことは知ってる。進学クラスだから勉強の時間が必要なことも知ってる。
でもさ、久しぶりに会えたのにこれはないんじゃないの?
連絡できなくてごめんな、って、一言謝って欲しいんですけど。
私、ずっとずっと我慢してるんだよ?
限界だった。私は椅子から立ち上がった。自習室の扉を開ける。開けながら、振り返ってみたけれど縁下はこっちを一瞥しただけでまたノートに視線を戻した。
信じられない。なんで追いかけてくれないの。馬鹿。
完全に拗ねてしまった私は、本棚の海へ飛び込んでいった。