第22章 境界線を跨ぐ(西谷夕)
「ちょっと!」
本能的に夕を突き飛ばした。バレー部の彼は1歩よろめいたが転ぶことはなく、私と向き合ったまま立ち尽くした。
荒い呼吸と心臓の音だけがやけにうるさい。
夕は自分でやっといて自分の行動が理解できていないのか、手の甲で口元を抑えながら呆然と私を見ていた。
その姿に釘付けになる。
彼の紅潮した頬、乱れて落ちかけた前髪、蕩けそうに潤んだ瞳。
首筋の汗、ごくりと動く喉、上下する肩、腕の血管、学ランの中のTシャツから覗く鎖骨。
この気持ちをなんて言ったらいいんだろう。
なんとも言えない…そう、何も言っちゃいけないんだと思う。
私の少ない語彙力で表現しようとしても、現実よりもずっとずっと薄っぺらいものにしかならない。申し訳ないけれど、このときの私の気持ちは各自想像で補完して欲しい。
「なんか、変だ」
夕がぐらりと瞳を揺らして呟いた。「俺、変だ」
そう、確かにいまの夕は変だ。まるで、さっきとは別人のように見える。
けれど夕は私を見つめて「お前、なんでそんな顔してるんだよ」と苦しそうに言った。
「え?」
「その、視線とか、胸とか、太ももとか……なんっつーか、」
夕は真っ赤な顔でぎゅっと目を瞑って叫んだ。「エロい!!!!」
「はぁ!?」
いや、そう言う夕も相当エロい。
なんだよ!せっかく私がムードを読んで想像で補完してほしいと言ったのに、エロいの一言で片付けられてしまった。いや、確かにそうなんだけれど、それにしたってなんて薄っぺらい言葉だ!!!
私は息を飲んで夕を見た。
もしかして、私達はいま初めてお互いを異性として意識したのだろうか。
ぼんやりとポケットからスマホを取り出した。
画面の時計は昼休みが終わるまでまだ20分あることを告げている。
親指でロックを外すと、先ほど見ていたキスのリストがずらりと出てきた。
それを黙ってスクロールした。顔を上げると夕も画面を見ていて、私の視線に気が付いてこちらを見た。
そのまま無言で見つめ合って、どちらともなしに背中に手を回した。