第21章 ユビサキサクラ講座入門編(及川徹)
やることもないのでもう女子トイレに篭っていようかな、なんて考えていたところに、良い香りが漂ってきた。中庭に模擬店が並んでいる。
なにか食べようかとフライドポテトの列に並んだ。そこでも前後をカップルに挟まれ苛々が募る。
自分の順番が来たらすぐさまポケットから財布を取り出して、会計をして、注文を受けとって歩きだした。
「もしもし、そこのお嬢さん」
ふいに紳士的な女性の声に呼び止められた。女性で紳士とはこれいかに?と振り返れば、そこに立っていたのは女性でも紳士でもなく、まだ歳の端もいかぬほどの男の子だった。
「これ、落としましたよ」と声変わりのしていない明るいトーンで喋るその少年の右手には、なまえのケータイが握られていた。
「あ、ありがとう」
10歳にも満たないだろうか。育ちの良さそうなその子にお礼を言ってケータイを受け取ると、彼はなまえの手をぐいと握った。
「わあ、綺麗な爪ですね」
そう言って小指のネイルを優しく撫でた。その仕草が嫌に大人びていてどきりとする。何も言えないでいると、彼はチャーミングな笑みを浮かべてまだ幼さの残る大きな瞳になまえを映した。
「爪だけじゃなくて、お姉さんも綺麗だ」
こんな口説き文句を述べられる奴、私の同年代の男子に存在するだろうか。いたとしてもせいぜい1人くらいだろう。少年は細い脚を交差させて背後の壁に寄りかかると、身体の後ろ手で手を組んで「ねえ、それ、俺も食べるの手伝ってあげる」と甘えるように言った。
彼の視線の先にはなまえが右手にもっているフライドポテト。それを食べたそうに見つめている。可愛いな、と思った。
「いいよ。そこのベンチで食べようか」
「本当?やったぁ!」
少年はバンザイをして喜んだ。退屈していたので丁度いい。ケータイを拾ってくれたお礼だ。左手の小指に感謝する。孤独な学祭道中、好いたらしい男の子を手に入れたぞ。