第16章 願いましては(赤葦京治)
「あの、」
最初に時間を取り戻したのは赤葦だった。「『海辺へ』っていう映画、知ってますか?」
「え、」
なまえもはっとして顔を上げた。
「先週から、上映中の、」
「は、はい、知ってます」
「もう、観ましたか?」
赤葦の声は職務質問をする警察官のようだった。
親しみの欠片もなく、まるで何かを確認するかの如く切羽詰まっている。
「いいえ」
なまえはなまえで、赤葦のプリントと本人の顔をまじまじと見比べている。
その様子も、指名手配犯を目の前にして犯人の似顔絵と本物を照らし合わせる警察官のようだ。
おいおいおいおい、どういうことだこりゃあ。
こいつら初対面じゃないのか。なんで映画の話してんだ?
異様な空気に、木兎でさえ何も声を出すことができなかった。理解の範疇を超えた出来事に、咄嗟の対応ができない。
目の前の赤葦となまえには、木兎のことなどまるで見えていないようだった。
いや、むしろお互いの顔すら見ていないように感じる。視線がまるで噛み合っていない。
奇妙すぎる光景に、木兎は黙るしかなかった。
「観てないんですね」
赤葦は念を押すように言った。
「はい、まだ」
なまえはうわ言のように返事をした。
「じゃあ今度、俺と観に行きましょう」
「わかりました」
「日曜日、10時に駅前で」
赤葦はなまえに、繰り返してください、と言った。
「日曜日、10時に、駅前」
なまえもプリントを見つめながらロボットのように澄んだ声で繰り返した。
「約束ですよ」
「はい」
「約束しましたからね」
そしてまた2秒、沈黙が続いた。
赤葦は棒立ちのなまえを残して歩き出した。
歩いてから、「あ」と2人が声を揃えて振り返った。2つの声と視線が重なる。
「名前、なんていうんですか」「このプリント、あなたのですよね?」
「え?」とまた声を揃える2人に、木兎はやっとのことで「変な奴ら!」と叫んだ。
「っていうかその映画、俺も連れてってくれよ!」
それが赤葦となまえの出会いだった。