第16章 願いましては(赤葦京治)
「お前、『海辺へ』って映画、知ってる?」
教室を出て、職員室を目指し廊下を歩きながら赤葦に聞いた。
「あぁ、CMで見ましたよ」
赤葦は制服のシワを気にしながら返事をした。「去年不倫騒動起こした監督の作品ですよね」
「そうそう、それ、先週から上映してるんだってさ」
「嫌です」
「まだ何も言ってねぇよ!」
「どうせ一緒に観に行こうって言うんでしょう。嫌ですから」
図星を突かれてぐっ、と声が出る。
「なんでだよ」
「つまんなさそうなんで」
赤葦は問題の回答に不備がないか心配になり、手元のプリントを確認した。「不倫するような人が撮る映画なんて、絶対ろくなもんじゃないですよ」
「お前、それ全世界の不倫してる人に失礼だぞ」
木兎が曲がり角でそう言うと、赤葦も反論しようと口を開いた。
直後、向かいから来た人影にぶつかった。
よろめきはしたものの転ぶことはなく、手から滑り落ちた朝自習のプリントだけが、ひらひらと地面に落ちる。
「大丈夫か?」
木兎は呑気に声を掛けた。「気を付けろよ」
「あっごめんなさい」
謝る声に聞き覚えがあり、ぶつかった人物を見ると、それは木兎と同じクラスのみょうじなまえだった。
彼女は急いで落ちたプリントを拾おうとしゃがみ込み、赤葦に渡そうと立ち上がった。
「私、ぼーっとしちゃって、ごめんなさ……」
そこでなまえの声が止まった。声だけじゃなく、表情も、身体も、ピタリと止まった。
食い入るように手元の紙を見ている。
まるで動画の停止ボタンを押したみたいに、周りの空気が固まった。
赤葦を見ると、彼も固まっていた。切れ長の目を見開き、信じられない、という顔をしている。
何だ?
木兎は、硬直している2人を交互に見た。
他人のプリントを見つめるクラスメイトと、そんな彼女を見つめる部活の後輩。
昔テレビ番組のドッキリで見た、街中の人が突然固まる悪戯を思い出す。
2人の周りだけ、音が消えているようだった。