第14章 capriccioso(澤村大地)
大地は歩きながらなまえの話を聞いていた。
目を閉じて想像してみるけれど、バレーしか知らない自分には、彼女の見た光景も、ホールに響き渡る音色も浮かんでこない。
もしかしたら、と考える。
なまえは元気そうにしていたけど、もしかしたら、引退の実感がなかっただけかもしれないな。
ゆっくりと目を開けた。隣にいたはずのなまえがいなくなっていて、慌てて振り返る。
彼女は少し離れた場所でぼうっと立ち止まっていた。
「なまえ? 」
大地はなまえの側へ行った。
彼女は、大地の声が聞こえないのか、黙って立っている。
無表情のその中の気持ちが読み取れない。
柔らかそうな唇が、呼吸のために僅かに動いているだけだった。
大地は、朝の町全体が固唾を飲んでなまえを見ているように感じた。
時間が止まったみたいだ。
「楽器に触りたい」
掠れた声がした。
彼女の目が潤んでいる。
あ、と思ったときには、大粒の涙が白い頬の上に零れた。
大地はそれを、息を潜めて見守った。
綺麗だ、と思った。
一粒流れた後は、とめどなくはらはらと落ちていく。
その涙が星屑のように思えて、大地は衝動的になまえの頬に触れた。目元を親指で拭ってやる。
なまえは驚いたように身を竦めて、「ごめん、」と言った。
「ごめん、私、」
「いや、」
その言葉を遮った。「泣いてもいいんじゃないか」
なまえはぽかんとした表情をした。それから、顔を歪めて、静かにしゃくりあげ始めた。
糸がぷつんと切れたようだった。
その頭を優しく撫でてやる。
「なまえは部活が好きだったもんな」
「うぇ...だい゛ち゛~」
「お、おぉ、よしよし」
なまえが抱き着いてきた。大地はそれを受け止めて、背中をぽんぽんと叩く。
「楽器、吹けなくて寂しいよな。みんなとまた演奏したいんだよな」
子供をあやすようにそう言うと、腕の中から、うん、とくぐもった声が返ってきた。
結局その日は、近くの公園に移動して、彼女が泣き止むまで側にいてやった。
学校についた頃にはもう朝練の終わる時間になっていた。