第1章 夢中
もっと詳しく言えば、菊はもう10年前からアルツハイマーになってたいたと言う。話しかけても反応は、当たり前のように無い。
そんな彼女に用があるのか、銀時は迷う事なく菊の元へと歩み寄る。密着するように隣へと座れば、彼はそのまま菊を抱き寄せた。そして自然な流れで銀時は菊の頬にキスを贈る。
シワシワで年老いた男女がいきなりイチャつく光景に驚きはしたが、不思議と嫌悪感は皆無だった。呆気に取られながらも、二人の纏う空気が何処までも優しくて、意識が惹き付けられる。
そんな二人を見守れば、銀時は菊の目を覗き込むように合わせた。そして今まで聞いた事のないほど甘い一言を告げる。
「愛してる」
傍観者として部屋に立ち会う少女でさえ一瞬、胸がドキリッとしてしまうような言葉だった。
その温もりと声色が心まで伝わったのか、今まで無反応だった菊が面を上げる。そして、これまた少女が初めて目にするような、にっこりと幸せそうな笑み浮かべた。
「あなた」
しゃがれながらも、ハッキリとした発声で聞こえた菊の返事だった。
後に少女がもう少し成長すれば、祖母の揚羽から聞かされる話がある。それは病気により揚羽の顔でさえ忘れてしまった菊が、30分毎に銀時から受けるこの愛情表現のお陰で、銀時の事だけは鮮明に覚えている事だ。
苦楽を共に支え合いながら生きて来た二人だからこそ可能だった奇跡。それを目の当たりにしていたのだと、祖母から言われる。だがそれは、もう少し先の……未来の出来事。
今はただ目の前で繰り広げる純粋な光景に、少女は胸を打たれるだけだ。
「ああ、二人は一つなんだ」
「お互いになくてはならない存在なんだ」
こんなにも奇麗な愛が、この世に存在するのだと心に沁みた。