第1章 霧の屋敷の黒い旋律
翌朝、ニナはまだ慣れない粗末なエプロンドレスに袖を通し、背中に生後数ヶ月の乳児を布でしっかりと結わえて炊事場に立っていた。
乳児の名はカルト。末の弟で、まだ首も座っていない。
「ニナ、このお皿も片付けて洗ってちょうだいな」
キキョウが、忙しなく声を掛ける。
「はい」
ニナは素早く答えてから、木の桶に井戸水を汲みにいく。背中のカルトを優しくゆらゆらとあやした。
カルトが小さくむずかると、ニナは自然と体を揺らし、子守唄を口ずさむ。
——そのとき、
ふと、気配に気づいて振り向くと、炊事場の入り口にイルミが立っていた。
「……イルミ様。おはようございます」
だが、イルミはしばらく何も言わない。
「……?」
「お茶を淹れて」
「は、はいっ」
厨房に戻ると、キルアが元気よく走り回っていた。
3歳の幼児は笑い声を上げながら、ニナの足元を危なっかしく横切り、鉄鍋の近くをうろうろする。
「キルア、危ないわ! そこは火が……!」
ニナは慌てて手を伸ばし、幼児の腕を優しく引き止めた。
キルアはくすくす笑って逃げ、また別の方向へ駆け出す。
イルミは厨房のテーブルに腰を下ろすと、何も言わずに昨夜の残りのパンとチーズを無造作に引き寄せた。
パン屑がぱらぱらとテーブルに落ち、床にもいくつか散らばる。
ただ窓の外の霧を眺め、どこか気怠そうなその姿は、朝の光の中でもどこか影を帯びている。