第5章 栄光の目前 〜決勝トーナメント準決勝〜
●藤堂 天● 〜東京体育館〜
シューターという役割に関して。
それは、選手が最も輝く瞬間。
それと同時に、コートの高揚が一気に高まる瞬間だ。
言わずもがなコートに立つ者は全員、シュートを決めたいと思っているものだ。
ポジションや、シュートに対する得意・不得意意識に関係なく。
なぜって、自分のプレイが追加点(目に見える形)となって与えられるから。
とてもシンプルで、シンプル故に超直結型の成果なんだ。
そしてそれは、自分…そしてチームを勝利へと前進させた、言わば“歩数”と同等だから。
多ければ多いほど、勝利は自分の前にその姿をハッキリと表す。
分かるんだ、そういう…
“勝利”が陰りからこちらへ向かってくる感覚、というものが。
そんなシューターの特権。
それを欲しがらないような奴は、バスケ選手など端からやっていないだろう。
そして、その特権が欲しくて欲しくてたまらない奴は、どんなチームでも1人はいるもんだ。
私たちの場合は、隠しておくまでもなく。
史奈のことを示している。
がめつくて、熱血で、自分に素直で。
執着とも取れるほどの、スリーポイントに対するその真っ直ぐな心意気。
特権という言葉では収まりがつかないほどで。
いっそのこと独占してしまうんじゃないか、というほどの勢いが、史奈(あいつ)という人間を表している。
それくらい、シュートというプレイが、史奈にとって何事にも代え難い存在となって、あいつの中に潜在している。
(シュートを)決めるたびに、嬉しくてたまらないのは当たり前だ。
私は。
私たち全員は、そのことをよく知っている。
だからこれは、成り行きなんかじゃない。
ただの“成り行きのプレイ”の果て。
行き着く先で私たちを待ちかまえているのは。
こんな一癖ある結末ではないはずだ。