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蜩(ヒグラシ)の宿─にの江大江戸人情帳─

第1章 純情恋物語編








にの江「じゃあねぇ、お智ちゃん。

あたしはこれで帰るけど、アンタも無理はしちゃいけないよ」



あたしは、貧乏臭い長屋に似合わない上品な佇まいのお智ちゃんに見送られながら

そう言って彼女と彼女の父親が住む長屋から外に出た



お智「……はい、にの江姉さん。

……何時も、有り難う御座います」



深々とお辞儀をするお智ちゃん

その所作の端々に、育ちの良さが滲み出ている



(本当はこんなケチくさい貧乏長屋に身を置くようなお方じゃないのに……可哀想に)



あたしは、何時までも下げた頭を上げないお智ちゃんの肩を叩いた



にの江「ほら、何時までそうしてる気だぃ?

早く戻らないと、おとっつぁんが心配するよ?」


お智「はぃ…………あ、雨」



お智ちゃんが顔を上げると、ポツポツとお天道様が泣き出した



にの江「嫌だねぇ、雨かぃ!」


お智「にの江姉さん、ちょっと待っていて下さいまし」



お智ちゃんはそう言うと、イソイソと長屋へ戻って行き、すぐに唐傘を片手に戻って来た



お智「はぃ、にの江姉さん。

これ、持っていらして」


にの江「あら、悪いねぇ、お智ちゃん。

じゃあ、遠慮なく借りてくよ」


お智「 良いんです、私にはこんな事位しか出来ませんけど…」


にの江「何言ってんだぃ、アンタは立派な孝行娘だょ。

……じゃあね、……おとっつぁんに、宜しく」


お智「はぃ、有り難うにの江姉さん」



あたしは、早く家にお入りと言うあたしの言うことを聞かずに

何時までもあたしを見送るお智ちゃんに手を振りながら、貧乏長屋を後にした





江戸の町を、我が家である「蜩(ヒグラシ)のお宿」に向かって急ぎ歩く


町の通りの軒先には

急な雨に雨宿りをする町人が、お天道様のご機嫌を伺う様に空を見上げている



にの江「全く、急な雨ほど迷惑なもんもないわねぇ………おや?」



程なくして我が家の近くまで来ると

その家の店の軒先に、例に違わずお天道様を見上げる若者が居るのが見えた




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