第5章 見返りはパン以外で
熱が出た。
かろうじて電池が残っていた体温計を手に、ムギはベッドに頭を埋めて突っ伏した。
「やってしまったぁー……。」
太陽がまだ空の向こうに沈んだ月曜日の早朝。
いつもであれば、バラティエに向かうために支度を調える時間である。
バラティエには15分前行動のほかにもルールがある。
体調が優れない従業員は、働くべからず。
世間には発熱しても職場へ向かうハードな企業も多くあるが、食品を扱うバラティエは衛生管理に厳しかった。
パン屋としては当然のルールだけど、バラティエは万年人手不足で、欠員がひとり出ると他の仲間に多大な迷惑が掛かってしまう。
だからこそ、日頃から体調管理には気を遣っていたのに。
(昨日の頭痛は、風邪の前兆だったのかぁ……。)
ここ何年か風邪知らずのムギだったのに、働き詰めの疲れが出たのか、何度計り直しても結果は変わらない。
しかたがなくムギはサンジに電話を掛けた。
本当はゼフに連絡したかったけれど、彼はケータイを持っていないのだ。
『もしもし? どうしたの、ムギちゃん。俺の声が聞きたくなっちゃった?』
お願いだから、朝から面倒な発言は自重してくれ。
今はつっこむ気力がない。
「おはようございます。すみません……、ちょっと熱が出てしまって、それで……。」
『えぇ!? 大丈夫? どのくらいあるの?』
「38.3度です……。大丈夫なんですけど、朝の仕事が……。バラティエに行っちゃダメなんですよね?」
『いやいや、気にするとこ違うだろ。こっちは気にしなくていいから、今日は休んで!』
「はい、すみません。店長にも……、申し訳ないと伝えてください……。」
『ジジイのことなんか気にすんな! 大丈夫? 辛かったらいつでも連絡くれよ?』
病で弱っていると、人の優しさが身に染みる。
サンジに連絡をし終えたムギは、力尽きて意識を手放した。