第6章 パン好き女子のご家庭事情
乙女たる者、キスに夢を抱く。
ムギが夢見るキスは、誕生日プレゼントだと称して同意なく奪われるものじゃなかったし、ましてや、怒りに任せて暴かれる深いキスでもなかった。
「んぐ……ッ」
息が苦しい。
口腔を這いずる舌が、意思を持った生き物かのように蠢いて、呼吸も思考も、なにもかもを奪っていく。
ゼロ距離に迫ったローの眼光は鋭く、唇を塞いでもなお、ムギのことを射抜いていた。
瞳に宿る感情は、怒りの炎とは別に、なにかもっと熱いものが滾っている。
それに気がつきたくなくて目を瞑ろうにも、絡みつく視線がそれを許さない。
なにをどうすればいいのかわからず、必死になってローの胸を押してみるけれど、厚く硬い胸板はムギの力如きじゃびくともせず、いたずらに両手が塞がるだけ。
「ふ…んん……ッ」
ムギの舌に絡みついたそれが離れ、舌先で上顎を擽られると、奇妙な感覚がぞわりと背筋に走り、思いがけず妙な声が漏れた。
その途端、ムギを捕まえた腕がぴくりと反応して、ローの顔がなにかを堪えるように歪んだ。
侵入してきた舌が離れ、腕を解かれ、ようやく解放されたムギは、よろよろとふらつきながらマンションの花壇に腰を下ろす。
膝が笑って立つことさえままならないのだ。
「は、はぁ……ッ」
新鮮な空気を取り込み、涙目で睨んだら、濃厚な口づけで濡れた自分の唇をローがぺろりと舐めた。
自分が誰となにをしていたのかを思い出し、ムギの頬は羞恥に燃えた。
「なに……、なにするんですか……!」
絞り出した声は震えていた。
驚きと羞恥と、ほんのちょっとの怒りで。
「お前がふざけたことを言うからだ。」
「い、言ってないですよ!」
「自覚がないなら、もう一度わからせてやろうか?」
「……ッ!」
思わず仰け反って距離を取ったら、機嫌悪く鼻を鳴らされた。
おかしい、なぜムギがこんな態度をされなくちゃいけないのか。
「……別れない。」
「は?」
「俺は、絶対に別れない。覚えておけ。」
すっかり忘れていた話題の返事をして、ローはヘルメットを被りバイクに跨がった。
残されたムギは、走り去っていく彼を呆然と見送るだけ。