第1章 幸いなことに、今宵は月夜で
「やだ、良かった!本当に此処に居た!」
真夜中の集中力が高まる静寂を無視して。
呼びかけるでもなく、ましてや悪びれた素振りの欠片もなく。
すぱんっと勢い良く開いた襖の音と共に飛び込んできた意味不明な台詞に不躾な人物。
甘く鼻にかかった声と、背後からふわりと忍び寄る香りがその正体を告げる。
当本丸の審神者、雪代 とわ。
実は密かに俺が想いを寄せている人物だ。
俺は思いもよらず訪れた、そんな彼女とのいささか傲慢にも思える出逢いを半分呆れ、半分嬉しく思いながら。
手元に広げられていた書物から視線を外さず、苦笑交じりの声で答える。
「そりゃあ此処は俺の研究室だから、居ても不思議はないな」
文法が滅茶苦茶で矛盾してるぜとか、せめてまずは呼びかけてから襖開けろよとか。
呆れた半分の心の中には言うべき事もあるのだが、彼女はまるで聞く耳を持たないのでそこには敢えて触れない。
大将がそう言った儀礼を、ごく親しいものに対して不必要だと思っているなんて事はイヤという程わかってる。
そしてついでに彼女が来たからには、現在進行中の作業の中断を余儀なくされる事も俺はイヤという程わかってる。
(けれどそれを言わない本当の理由は、彼女の突拍子もないその訪問を嬉しく思うもう半分の俺の心だ)
「まあ不思議じゃないかもしれないけど、ただ真っ直ぐに薬研を想っていたら逢えたんだもの」
それってとっても素敵な事でしょう?
そんな俺の心情も何もお構いなしに。
彼女は弾むように軽やかな口調で話しながら、やはり弾むように軽やかな歩調で俺の背中に抱きついた。
すると甘い沈丁花の花の香りが不意に近さを増し。
春宵色のさらりとした髪が頬をくすぐった。