第5章 アネモネとキス。2
やっぱり夢じゃなかった。ぐるぐる回る思考がその結論に辿り着いた頃には私は自室のベッドへと下ろされていた。夢と間違えて密さんにキスを強請ってしまって、それで。
目の前で真っ直ぐに私を見下ろす密さんを上目で見た。どくどくと心臓が思い出したように鼓動を速める。言い訳を考える余裕もなく、あの、その、と言葉にならない言葉が宙を舞った。
「あんなところで居眠りしちゃだめ」
「あ、えと…ごめん、なさい、」
沈黙を破った密さんは相変わらず何を考えているのかわからない。咄嗟に謝罪の言葉を口にすると密さんは再び口を閉ざし、沈黙が流れる。ちらりと一瞥した時計はお昼寝をした時間から優に2時間は経っていた。自分の仕事も忘れて居眠りしていた私に怒っているのだろうか。
密さんが屈んで私と目線を合わせるとゆっくりと口を開いた。
「オレのこと好き?」
「、えっ」
「オレとキス、したい?」
「あ、の、」
真っ直ぐな瞳が突き刺さる。答えなんて決まっているけれど、正直に言っていいんだろうか。困らせたりしないだろうか。言葉が喉元まで出かかって詰まる。密さんはじっと私の答えを待っていて、焦る気持ちでなんとか言葉を絞り出した。もしかしたらと淡い期待を込めて。
「す、き、です」
「………」
「きす、も…したい、」
吐き出されたのは聞こえたかもわからないほどの小さな声だった。自分自身、鼓動の音にかき消されるくらいのか細い声。密さんの顔を直視出来ず思わず俯くと、密さんの手が私の頬に添えられた。誘導されるように顔を上げると今まで見たことのないくらい優しい微笑みが私を照らした。
「オレも」
その一言だけで私の心が幸福感で満たされた。深夜に背中だけで感じていた温もりが私の全身を包み込む。抱き締められていることを頭がやっと認識して、そろりと背中に手を回す。匂いと温もりと小さな息遣いがすぐそばにあって、僅かにそれが離れると唇を柔らかな感触が包む。触れるだけのキスの後、密さんの唇が小さく好きと呟いた。
どちらともなく再び唇を重ねる。談話室の方では帰ってきた劇団員たちの談笑の声が遠く響いていた。
了。