第1章 二人の日常
汗で肌に張り付く服の不快感で目が覚めてしまった。デジタル時計は七時ジャストを示している。
ご飯の前にざっとシャワーを浴びようと浴室に向かうとキッチンからベーコンの香りが漂ってくる。
「黒羽丸おはよう!」
榊ユリ──記憶のない見ず知らずの俺を拾って面倒を見てくれる心優しい人。
この人のためにも俺は早くこの家を出なくちゃ行けないのだろうが、出たところで帰る場所もわからないのだからと、何だかんだ居候させてもらうこと早2週間、一向に記憶が戻る気配がない。
「おはようございます。シャワー借りていいですか?」
「シャワーくらい好きに使っていいのに」
自分の家でないのだから許可を求めることは必要だろうに、ユリさんはそんなことは気にしないと笑って終わらせる。
ユリさんが使っているタンスから俺の服を出すと、二週間前までは男の物など一切なかったこの部屋が懐かしく感じる。
俺には記憶が何もなく、自分が何者なのか、どこで生まれたのか、家族は、友人は、など何もかも忘れ、自分が「黒羽丸」だと言うことだけ覚えていた。
女性のひとり暮らしに男が居座るなど失礼極まりないというのに、記憶が戻るまで居てくれていいと言うユリさんは天女かなんかじゃないのかと真剣に思うが、それを伝えたところ笑われてしまった。なぜだ。
「私はこれからバイトがあるけど三時には帰ってくるから、帰ってきたら買い物付き合ってくれる?」
「俺はここに置いてもらっている身です。買い物なんていくらでも付き合いますよ」
ユリさんは「大学生」とやらで家賃や光熱費や学費は仕送りで何とかなっているが、食材や衣服を買うお金はバイト代で賄っているらしくあまり贅沢はできない生活。
それでも俺も養ってしまうのだから本当に頭が上がらないし足を向けて寝れない。