第10章 恋知りの謌【謙信】湯治編〜露天風呂 前編〜
ヤキモチを焼いて
自分に自信がなくて勝手に不安になって
馬鹿馬鹿しい態度をとった自分を
黙って甘やかしてくれる謙信に
「チュ…チュ…ん…っチュ…」
心も体も翻弄されて飲み込まれそうになった
その時
つん、つん、つん、
「…??!」
前にも感じたことがある、むず痒い感覚に、
そっと唇を離して足元に視線を向けると…
「うさぎ??!!!」
口付けを邪魔した可愛らしい珍客に、
美蘭はしゃがんで手を伸ばした。
「美蘭、其奴に手を出しては…」
謙信が叫んだとほぼ同時に
「…?…きゃ…っ痛…ッ!」
うさぎは美蘭の指に噛み付いた。
「大丈夫か?!」
すぐに隣にしゃがんだ謙信に、血が流れ出た指を咥えられ、汚れや菌が入らぬようにと、繰り返し傷口を吸い出された。
「う…ありがとうございます…。」
「此奴は昔から俺と椿以外には懐かぬ小心者でな。他の人間が手を出せばすぐに噛み付くのだ。」
「…!…そう…なんですか…。」
また、美蘭の胸がドクリと嫌な音を立てた。
「何年か前、吹田家が春日山に訪れた時に椿の子守をさせられてな。間が持たぬからうさぎたちを庭に呼んだらいたく気に入って。連れて帰ると泣き騒ぐから…当時生まれたばかりの子兎たちの中から、一羽選ばせ持ち帰らせたのだ。」
嫌な汗が背中を伝うような感覚で謙信の話を聞いていた美蘭は
「…そうだった…んですね。」
ありきたりな言葉を返しながら
椿が何故このうさぎを選んだのかすぐにわかってしまった。
謙信と同じ
左右色違いの瞳をしていたのだ。
椿は、やり切れない気持ちを振り払うかのように、
全速力で帰り道を駆けていた。
(…あんな謙信は見たことがない。)
許婚が眼帯の男といるのを見つけた瞬間、隣にいた自分に伝わってくるほどの謙信の殺気を感じた椿。
戦でさえ表情を変えることはないと言われている軍神が、
幼い頃から冷静沈着な姿しか見たことがない謙信が、
怒りをあらわにする姿など、見たのは初めてであった。
そして、
謙信に頼まれて弁当を作ってきたらしかった許婚との、すでに夫婦のような2人の空気。
紡ぎだされる2人の世界にイライラしを感じ
椿は無我夢中で走った。