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第11章 斎児ーいわいこー



そう言われて胸が詰まった。

私もそうした者と大差無いのではないか?

長い影を揺すりながら山を下りて行く弥太郎を見送って、溜め息を噛み殺す。今の顔を実直なサクに見られたくなくて、小屋に背を向けた。サクは躊躇いなく聞いてくるだろう。

そんな顔してどうした?何かあったか?

誤魔化しを並べる気にもなれない。頭を冷やしてから小屋に入ろう。

サクの小屋を見失わない程度に、ますます暗くなった辺りを歩く。一本の太い樫を回り込んだところで、不意に視界が拓けた。暮明が薄れて不思議な明るさが満ち満ちる。

木立が切れ、薄野原が広がっていた。
白銀色に発光する時節を外れた薄が風に靡いてさんざめいている。吹く風が冷たい。けれどこれは山の風の冷たさではない。もっと柔らかくそれでいて余所余所しい冷たさだ。心なし良い薫りがする。香を焚いたような薫り。ふと、宿坊を、寺を思い出す。
美しい。美しいが異様。異様…。違う。畏敬。これは畏敬の念を誘うものだ。

見てはいけないものなのではないかと思う。恐ろしい。しかし目が離せない。

揺れ動く薄の穂の上を童女が歩いている。ムレだと、これがムレだとすぐわかった。脛の半ばまでの丈の赤い袷を着て、濃茶の帯を締めている。切り下げた髪は肩を覆い、重たげに艶やかに滑るように風に靡く。顔は、見えない。子供らしい華奢な後ろ姿だけが目に映る。

月明かりが、薄野原を、ムレを照らしていた。白い月明かりだ。何時上った月だろう。円い月が天に浮かんでいる。

ムレは月を見上げて、何事か呟きながら歩いている。薄野原は何処までも広がっているように見えた。一日私を苦しめた山の起伏は何処かへ消えて、ただ平たい野原が煌々と拓けている。

ムレは誰かと語らっているようだった。ボソボソと続く呟きに、時折入る間がそれを物語っている。けれど、語らっている筈の相手の声は聞こえない。たださらさらと薄が鳴るだけ。

髪を揺らして穂の上を歩くムレを眺めているうち、夢をみているような心地になって来た。山に来て初めて息を吐けたような気がする。薄が鳴る音は聞き慣れた音、里を思わせる音だからだろうか。ぼんやり光る薄野原が、膨れて目の中いっぱいになった。歩いて歩いて、小さくなったムレの後ろ姿が、穴のように目の中でポツンと赤い。

綺麗だ。

声に出さず口だけで呟いたら、ムレの足が止まった。

振り返る。

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