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短編集【庭球】

第68章 その嘘は美しいか〔仁王雅治〕


平手打ちをくれた彼女は私のせいで仁王に振られたと言っていたけれど、私もまた、仁王に振られたのだ。
それも、恋に気がついた瞬間にそれを失うという、一番堪えるやり方で。

空に浮かぶ雲がぶわりと滲んだ。
涙が出るなんていつぶりだろう。
泥棒猫と言われたことが悲しかったせいでも、殴られたことが悔しかったせいでもなく、恋を失くしてしまったことがただただ切なくて、私は久しぶりに声を上げて泣いた。


* *


一度出始めてしまった涙はなかなか止まらなくて、結局二時限目が始まってしまった。
真っ黒のスマホ画面に映った自分は、それはもうひどい顔で、苦笑いが漏れた。
泣き腫らした目はさっきの彼女を見ているかのようだし、ぶたれた左の頬も赤く腫れている。
人気のない場所だったから、彼女から平手打ちされたのは誰からも見つかっていないはずだ。
誰にもばれないうちにと、二時限目の最中に保健室へ向かった。

私の顔を見るなり「これはまたずいぶん派手に…」と独りごちた保健医のおばさんは「早く冷やしなさい」と冷凍庫から出したアイスノンを手渡してくれた。
「空いてるからベッド使ったら?」という言葉に甘えて、布団に潜り込む。

間仕切りの白いカーテンと天井を、ぼうっと見つめる。
心が大きく波打っている今は、なんの感傷もない無機質さがかえってありがたかった。
頬に感じる冷たさが、私と現実とをかろうじて繋ぎ止めてくれていた。
愛想が悪いとあまり評判の芳しくない保健医だけれど、変に詮索されてもかえって困るし、今日ばかりは感謝しておこうと思った。
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