跡部様のクラスに魔王様(Not比喩)が転校してきました。
第1章 うららかな春の朝の転校生
それは、そろそろ卒業式も近づこうという、うららかな春の日のことでした。
既に高等部に顔を出しての男子テニス部の朝練を終え、跡部景吾――跡部様と敬称を欠かさず呼ばれるに相応しい威厳を漂わせたその人は、当然完璧に終わらせてあるドイツ語の宿題ノートをぱらりとめくり、先ほど浴びた薔薇風呂の香りを仄かに纏って、3年A組の教室の一番後ろの席についておられました。
先頭に立たねば気の済まぬという印象を持たれがちな跡部様ではございますが、視力も良く身長も高いものですから、他のクラスメイトが黒板を見づらくならぬようにと配慮されていらっしゃるのです。
もうすぐ朝のホームルームの時間。先程までは向日岳人くんや芥川慈郎くん、それに滝萩之介くんといった賑やかなテニス部の仲間達が机を囲んで談笑していらっしゃいましたが、既に元のクラスに戻って行きました。丁寧に乾かされた柔らかな金髪を、窓から入って来た風にふんわりとなびかせて、心地よさそうに跡部様が目を細めて宿題ノートを閉じられたその時でございます。
「おはよう、諸君」
からりと教室の扉を開けておいでになったのは、3年A組の担任である榊太郎先生でございます。テニス部の顧問でもある榊先生は、音楽を教えていらっしゃるだけありまして、その足取りもまるでワルツのステップのように軽やかでございます。
けれど常と違うのは、普段からきっちりとした榊先生が、教室の扉をお閉めにならなかったことでございました。
榊先生はオーストリアの宮廷舞踊すら思わせる優雅さで教壇に昇り、向き直ったクラスの皆にこう告げたのです。
「本日はこのクラスに、転校生が来ることになった」
美しいバリトンで発されたその言葉に、教室は華やかなさざめきに包まれました。
良家の子女がほとんどである氷帝学園中等部に通ってはおりましても、やはり中学生でございます。転校生、という言葉がひどく興味をそそるのは、他の学校とさほど違いはございません。
ほら、あの跡部様ですら、どこか興味深げに唇を微笑みの形に吊り上げているではございませんか。
「入って来なさい」
榊先生が扉の方に向かって呼びかけた瞬間、一斉に集まる視線の中、姿を現したのは――人間では、ございませんでした。