第6章 重陽の節句
夕餉の準備をしていると、後ろからふわりと香るものがあった。凛として清浄な香り。その香りには覚えがあったが、何故厨からその香りがするのかがわからない。顔をあげると籠いっぱいに菊の花を盛った山崎さんが立っていた。
「山崎さんどうしたんですか?その菊」
「ああ、雪村君酒の用意をしてくれ。菊酒を作る」
暦は葉月にはいり、木々の装いも彩りを増して美しくなってきた。どうやら新選組では毎年重陽の節句に飲む菊酒を作っているようだ。出来上がるまでに一月はかかるのだから、そろそろ漬け込まないと間に合わない。お酒の上に花びらを浮かべるだけの簡略化された作り方もあるというのに、ここではわざわざ手のかかる漬け込む方法を採っているようだ。隊士全員に行き渡るようにするにはこれくらいの量の菊の花も必要なのだろう。山盛りに盛られた籠を山崎さんが台へ置く。凛とした香りが厨に満たされて、思わず背筋がしゃんとなる。この香りは嫌いじゃない。
「山崎さんこれくらいで足りますか?」
強めの酒を何本か用意すると、一つ一つ丁寧に菊の花を洗っている山崎さんへ声をかけた。
「すまないがもう少し用意してくれ。隊士が増えたから、全員に行き渡らない」
「皆さんお酒大好きですものね」
「君の分もある。節句がきたら飲むといい」
「あの、私お酒は……」
慌てて辞退しようとすると、山崎さんは顔をあげてこちらをみた。
「菊酒は邪を祓うという。口をつけるだけでもいい、御守りだとでも思って飲んだらどうだ」
声音は普段と変わらないのに、表情が柔らかい。私のことを労ってくれているんだ。いろいろあって落ち込んでいたから。山崎さんはそういう機微に聡い。努めていつも通りに振舞っていたのもお見通しだろう。それでも何も聞かずにいてくれるのは彼なりの優しさだ。たまにはそれに甘えてもいいだろうか。
「でしたら少しだけいただきます。私強いお酒はあまり飲めませんから残った分は責任もって山崎さんが飲んでくださいね」
と、山崎さんの顔がみるみるうちに赤くなる。え、私何か言った……な。自分の口から出た言葉の意味に気づき赤面していると、斎藤さんが助けてくれた。
「雪村、鍋が吹いているがいいのか?……邪魔をしてすまなかったな、山崎」
この後、二人して全力で訂正したのはいうまでもない。