第1章 一章 毛利家潜入
「我の妾になると言ったか」
冷たい眼差しを向けながら、毛利元就は言った。
その切れ長の目に映るのは、一人の年若い娘だった。
「捨て駒共が要らぬ世話を…」
彼はフンと小さく鼻をならし、その娘を正面から見下ろした。
「名は何と申す」
「杉乃と申します」
娘は物怖じせず、凛とした声で答えた。
瞬間、元就の目が僅かに見開かれた気がして、杉乃は何か勘付かれたか、とひやりとしたが、彼は一言、
「別に名など聞かずともよかったが」
と無表情で呟き、
「今の我には妾など不要。ここに居座ると言うならば貴様は小姓として働くことになるが、嫌ならばすぐに帰れ。我は忙しい」
と低い声で言い放つと、さっさと広間から立ち去っていった。控えていた家臣が、慌てて彼の後をついて行く。
(やはり妾になるのは無理だったか)
智将、毛利元就が率いる軍勢によって、彼女の家は無惨にも滅ぼされた。
その時死んだ父、家中の者達の仇を討つために、唯一人生き残った彼女は毛利家に”妾”として潜入したのだ。
(あやつを亡き者にするまで、私は絶対に諦めない。小姓になれば、公務を手伝い機会を探ることも出来る筈…)
そう思い、杉乃は居心地悪そうに控えていた毛利家の家臣に小姓として働く旨を伝えた。
家臣はポカンと彼女を見て、
「本当にそれで宜しいのですか?」
と不思議そうに尋ねたが、強く頷いてみせると、分かりましたと一礼し、廊下に出て行った。
(待っていて下さい、父上。この私が必ずや雪辱を晴らして見せまする)
窓から見える青い空に向かって、彼女は一人、拳を握りしめた。