第27章 月が(猿杙大和)※
「あぁ、そういえば、」とあなたは鎖骨を噛まれて思い出す。「大和、」と名前を呼ぶ。あなたは、今では彼を下の名前で呼んでいた。
「なぁに?」
「私の初恋の相手は、大和だったかもしれない」
「あぁ………俺も、そうだったかも」
「じゃあ、そういうことにしとこうか」
「うん」
今日はいい日だね、と呟いて、猿杙はあなたから離れ、窓辺に近づく。窓を開けて、カーテンレールに手をかけて、空を見上げる大きな背中を、あなたは黙って見つめるのが好きだ。
「今日はいい日だ」
と、猿杙がのんびりと言う。「俺たちの初恋は実ったわけだし、月は地球にキスをする」
「衝突だよ」とあなたは言う。「人類滅亡」
「じゃあ、おやすみのキスだ」
カタカタと家中の小物が音を立てた。最近、地震の回数が多くなっている。あなたはまた、目眩を覚えて、こめかみに手を当てた。
「大丈夫?」
あなたは首を横に振る。「頭が痛い、身体がダルい。お腹が痛いの」
「お腹?」
あなたのお腹に、温かい手のひらが乗っかる。猿杙の手は大きく、あなたはどんどん細くなっているので、片手ですっぽりと覆われてしまうほどだった。
母親に甘える少年のように、猿杙はあなたのお腹に耳を当てる。 目を閉じて、耳を澄ませる。あなたの呼吸に、あなたの細胞の声に、耳を澄ませる。
「私は消えても構わないと思ってるのに、私の身体は逆の気持ちらしいの」
お腹がしくしく痛いの、とあなたは呟く。「泣いているみたい」
その言葉を聞いて、猿杙はハッとしたように顔を上げてあなたを見た。唇を少し震わせて、額には汗が滲み始めていた。
「どうしたの?」とあなたは尋ねる。何か言おうと口を開いて、迷ったように閉じるのを、あなたは辛抱強く待っていた。けれど最後には頭を振って
「ううん、なんでもない」と言われてしまった。
「変なの。今更隠しごとしたって、どうせみんな消えるのよ」
「そうだね、みんな消えるんだ」
みんな消える。だからあなたも、細かいことは気にしない。
新しい季節の匂いを孕んだ風が、窓からそよそよと吹き込んでくる。窓際でしまい忘れた風鈴が鳴っていた。涼しげな音に紛れて、今日は本当に良い日だ、と猿杙が呟いた。