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【ハイキュー!!】青息吐息の恋時雨【短編集】

第26章 月が(赤葦京治)




「返して」

「すみません。嫌です」

「お願い。返して」

ついてっちゃえよ、ともう1人の自分が囁く。下心があって行くんじゃない。これは、脅迫されて、行かざるを得なかった。と言い訳できる状況だぞ。


一歩近づくと、赤葦は一歩後ずさった。さらに一歩近づくが、距離を一定に保たれる。思いきって飛びかかり、右手を伸ばすが避けられる。ならばと左手を出せばひらりと軽々かわされる。応酬はスピードを上げ、やがて人ごみをかいくぐり、逃げる赤葦との追いかけっこへと発展していた。

等間隔に並ぶ広告柱や、のんびり歩くサラリーマンに視界を遮られ、見え隠れする赤葦を息を切らして追いかける。 紺色のコートに、クソ重そうな部活用の肩掛け鞄。あれを見失ったら、それこそ、わたしお手上げだ。


何度も人にぶつかりそうになり、すみません、と往来を掻き分け、来たこともない階段を駆け上る。脇腹が痛い。空腹が気持ち悪い。

やっとのことで追い付いて、腕を掴んだと思ったら、普段使わない路線の改札に辿りついていた。


暑い、と無意識に声に出したわたしに、赤葦は涼しい顔で目配せをした。何も言わず、流れるような動作で彼はICカードを自動改札にタッチ。通りきる前に、長い身体を伸ばしてわたしの定期分までタッチ。


どうぞ、

と言わんばかりに向こうから右手を差し出される。

走った後で、酸欠ぎみで、わたしは上手く頭が回らなかった。

ということにして、吸い寄せられるように改札をくぐった。直後に目の前に何かが飛んできて、あわや顔に当たりそうになる。取り損ねそうになりながらも両手で掴まえよく見れば、控えめなチャームのついた細身の水玉ペンケース。言わずもがな、わたしの愛用の筆入れである。


こんなものまで盗っていたのか。


一体、いつ、どこで。手癖の悪さと手口の鮮やかさに、呆れ返りそうになる。どうしよう、赤葦の部屋を満たしているのが、すれ違い様の女子からスったファンシーな小物の数々だったらどうしよう。

わたし受け入れられるだろうか。


不安に襲われ顔を上げると、当の赤葦の姿はなかった。幻のように、こつぜんと消えていた。あれ、と一歩踏み出すが、案内板は多く、どこへ行ったかわからない。後ろを振り返るも、一度通った改札は閉じられた門のように引き返せない。

こんなところで、一文無しのまま置いていかれても。
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