第22章 ままならないまま(夜久衛輔)
猫みたいに綺麗な背中で,日の傾いてきた空を眺めるなまえの姿は,何年も昔の,どこかの絵画の女の子みたいだ,と夜久は思った。
同じクラスメイトのはずなのに,なんだか急に悲しくなってしまったので,「髪,マジで短いな」とぽつりと言った。「イメチェン?恋でもしちゃった?」
「まさか」と,彼女は笑った。「その逆だよ」
「逆?」
「失恋したの」
おもむろに夜久のほうを振り返り,「信じられる?」と彼女は聞いた。「恋してたの。私。悔しいけれど」
「あぁ,なるほど」と,膝に手を乗せて夜久も頷いた。「どうりで,すげー綺麗になったなって思った」
「やだ,冗談やめてよ」
彼女は湿った声で短く笑って,顔を伏せると,少しの沈黙の後に,「どうして?」と声を震わせた。
「夜久ったら,お母さんとおんなじこと言うのね」
「……よく言われる」
蝉の声はもう遠ざかっていた。相変わらず暑い教室に,時折思い出したように風はひらりと入り込んでくる。
そして夜久は,また窓のほうを向いて黙ってしまったなまえの,うんと短い襟足を眺めて,やっぱり,とびきり似合ってるなぁ,なんて考えながら,机の上のノートを開いた。
おしまい
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恋をすると女性は綺麗になると言いますが,悲しみを乗り越えようとする人もまた,美しいと思います。