ああ…ついにこの日が来たかと。
演出家蜷川幸雄氏が死去されました。
私なんかが手に届かないような演出家。
そりゃ、いつまでも生きているとは思わない。
思わないけど…
それでもまだアンタ80歳だろうって…
残念でなりません。
初めて生で舞台を見たのは「ハムレット」。
真田広之ハムレットで、松たかこがオフィーリア。
銀座のセゾン劇場。
あの時コージーコーナーで初めて食べた、カルボナーラの味まで覚えています。
そのくらい、衝撃的でした。
当時まだ知る人ぞ知るだった、蜷川カンパニーの松重豊、劇団そとばこまち座長の生瀬勝久、田中哲司も出演していた。
中越司氏の素晴らしい舞台美術、小峰リリー氏の魅惑的な衣装の数々…
鳥肌が立つとはこういうことかと。
どのシーンでも、どの部分でも思いました。
それほど素晴らしい舞台芸術でした。
もちろんハムレットは西洋のお話です。
だけどそれは、蜷川色に塗り替えられていました。
ハムレットの生まれた英国でも、高い評価を得ているこの舞台を見れたことは、今でも財産だと思っています。
友人が蜷川カンパニーのお稽古を見学させてもらう機会があったそうで、その時、蜷川氏は禁煙したばかりだったそう。
いつも自分の言ってることを理解しない俳優に、灰皿を投げつけていたそうですが、禁煙したものだから、それがない。
蜷川氏は思わず、その時食べていたハンバーガーを投げつけたそうです。
食べ物は大事にしましょう…
後でご自分で拾っていたそうですwかわいいw
その後、いくつか舞台を拝見させていただきましたが、どれも私の大好きな舞台になりました。
ただ、商業演劇なものだからチケットが高い…w
高いもんだからそんなしょっちゅうは見に行けない。
せめてカンパニーをと思っても、チケット取れないんだよね…
もっとみたかったな…もっと。
蜷川氏の凄いところは、どんな戯曲も蜷川色になるところ。
それもちょっとやそっとじゃない。
あの通り強烈な御仁だから、その色がそのまま出る。
そしてそれは、一色じゃない。
いろいろなカラーがある。
つまり、カラフルなじじいだったんです。
彼が元俳優だからなのか、私には彼の演出がとてもすんなりはいってきて、そしてすんなりと理解できて、そして度肝を抜かれる演出で手を叩いて喜べる、エンタテインメントだったのです。
木村拓哉から始まり、松潤や森田剛など、多数のジャニーズのタレントさんたちも蜷川氏の舞台に出演しています。
本当に彼らには勉強になったんではないでしょうか。
実際に一皮むけたと思いますよ。
松潤は蜷川氏に宙吊りにされたとき、足をクロスさせていたら、なんだそれはと怒られたそう。
ジャニーズでは宙吊りにされた時は、クロスするよう教えられるけど、それは一般の舞台では必要のないことですからね。
そういういちいち細かいコトなんですが、実はそれって役者にとって気づくようで気づかない大事なことなんですよね。
自分の常識が全てだと思っているのは大間違いだというね。
特にあの時の松潤はまだ20代の前半だったから、いろいろ目の覚める思いだったんじゃないかな…とおばさんは思う。
美内すずえ氏にガラかめの続きを書けと言ってくださったり、彩の国さいたま劇場の芸術監督をされたり、演出以外でも大活躍。
50歳以上の俳優だけ使ったじじい劇団を作ったり、その活動は留まることを知らなかった。
また、見たかった。
いつでもあなたの演出で驚いて居たかった。
人間はいつか死ぬ。
80歳と言えば、長生きなんだろうと思う。
しかし蜷川氏はもっと生きて、もっと演出して頂きたかった。
車いすに乗っても、酸素をつけなくてはいけなくても。
その演劇、演技への情熱は衰えなかったのだから。
私にとっての巨星でした。
冥福は祈らない。
霊になってどっかの劇場に住み着いて、役者を叱り続けて欲しい。
とんだファンだなw
さようなら。
蜷川のおじさん。
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