こんばんは!
深夜に大雪警報が出たと思ったら、朝起きたら銀世界でございましたよ~!
また降ったけども…でも10センチくらいだから。
そんなに積もらなかったなという、雪国からお届けします!
嬉しいレビューを頂きましたので、御礼いたします!
♡あにゃさま
大野の紋章、最後まで読んでくれてありがとう!
あにゃとふたりで、バカ話していたのがこうやって形になって、とっても嬉しいでっす!
当初話していた話と、全く変わってしまい…
残念ではあるけども。
でもしょうがない。書けないんだもんw
でも、このラストはラストでメジェドさまを出せたので、悔いはないっw
でもだんだん、書いてるうちに、漫画のキャラ設定忘れそうになってきてw
ああっ…ちがう!ってなりながら書いていましたw
でも、漫画で「なんでこうしないんだ!」「なんでこうならないんだ!」ってモヤモヤ思っていたことを、私なりに「こうすれば終わるじゃん?なんでやらねえの?」みたいなのも織り込めて、一人で笑いながら書いてて、とっても私も楽しかったw
結論として、ニノシスにできることが、ファラオのジュンフィスができないわけねい!
ジーチャンノワイパーに対抗できるのは、オレノトーチャンニワトリしかねい!
可愛いは正義!
原作大好きな方には、物足りなかったかも知れない…
でも、楽しんでもらえてよかった!
素敵なレビュー、ありがとうございました!
そして、これからもよろしくねっ!
以上、レビュー御礼でした。
ではでは…
以下は、掲示板で書いております日記の「のさぼやーじゅ」の出張版でございます。
どうぞ、お付き合いくださいませ。
昨日から考えていたことが…
ああ、ずっと考えてることかなw
伝えることの難しさ。
受け取ることの難しさ。
そして、正確な情報収集の必要性を知る。
これ、社会人としてアタリマエのことなきがします。
報告、連絡、相談=ほうれんそう
なんて言われていますが、ちゃんと報告する。
そして、ちゃんと報告を受ける。
これさ、こうやって「ほうれんそう」って言葉を作らなきゃいけないくらい、日本人はできてないんだよなwってふと思った。
一旦止めます。
ここで、前の文章を見直してほしいのですが…
私は「全員の日本人ができていない」とは言ってないんですよ。
でも、人によって受け取り方が変わります。
・「のさまじょは、日本人が全員ほうれんそうが出来てないと言った」
・「のさまじょは、日本人と言ってるけども全員とは言っていないので、一部の出来ていない人を指している」
まだまだ上げれば捉え方はあると思いますが…
こうやって、何通りにも受け取ることができると思うんです。
これが、誤解や齟齬(そご)が生まれてくる原因だと思います。
私は、なぜ「日本人」という括りで「ほうれんそうができてない」と言ったかというと…
全員できないとは思っていなくて、「典型的な日本人の癖だな」と思ったのです。
誰しもが当てはまる部分がある(出来ている人を含め)のではないかと思い、「日本人」という括りで書いてみたのです。
しかし、「日本人が全員できてない」と受け取った人は、自分も含めできてないと言われたと感じるのでしょう。
そして、どこにも批難の言葉は書いてないけど、批難された気分になるのでしょう。
のさまじょは、自分を批難した!だから嫌がらせしてやる!叩いてやる!
と、なるんじゃないかと。
一方的に批難してきたり、叩いてきたりする人の心理ってこうなんじゃないかなあって思います。
あ、嫉妬や怨恨についてはまた別ね。
そうじゃなくて、叩いてくる人のことをそう思ったんです。
話を戻します。
ほうれんそうが基本的なことであるというのは、もう大前提なんですが、それができるひととできないひとというのは、問題意識の差もあるんじゃないかと思っています。
要は、自分主体で仕事をしている意識があるかどうか。
その仕事の責任者でなくても、「自分主体」と考えれば自ずと他の情報を集め、責任者に報告し、円滑に仕事を進める意識が芽生えると思うんですよね。
これは与えられた仕事だと思ってると、全て把握しなくても自分の領分だけやっていればいいとなるから、ほうれんそうを怠る。
逆の考え方もできますが、私はほうれんそうができない原因をここではないかと思います。
そして、正確な情報収集の必要性。
ちゃんとそこで何があったか知らないのに、意見って言えませんよね?提案ってできませんよね?
間違った意見を言ったり、見当違いの提案をして恥をかくのは…自分なんだよね。
だから情報収集もきっちりと…ほうれんそうに加え、できて…やっと「社会人」てものが出来上がるのかな?
と思った夕方でした。
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