こんばんは。
くさめが夜になってから出るなあ…
うちの地方、花粉もあるけど黄砂も飛ぶ。
とりあえず、大気が油断ならない時期は…
まだ続くw
朝、頭が痛くて、薬を飲んで横になりましたら、また眠ってしまいまして。
起きたら夕方…
おーう…一日終わったw
先程雨が降り出して、ますます頭痛も激しいぜ。
ということで、今日は一日ボケボケと過ごしており、こんな時間まで眠れずにおります。
昨日、ある小品を結びまで書きまして。
ちょっとした充実感が、まだ続いております。
このまえね、Twitterのまとめをみておりましたらね。
AIについて書かれたものでした。
これが事実かどうかはわかりませんが、ちょっと内容を引用させていただくと…
「AIにショパンの曲を覚えさせて、同じようなものをつくることが、今の技術ではできる。だけど、AIには曲を終わらせることができない。作曲という創造が、実は「曲を終わらせる」ための創造であるという事実が、矛盾している」
この言葉に、ほおおおと感心をしてしまいまして…
これは、曲を小説に置き換えると、同じことが言えるのではないか。
人工知能(AI)では、小説を終わらせることは、できないんだろうと思う。
いや、調べてないから、そんな実験が行われているのやらなんやらは知らないし、わからないけども…
ほおおお…ときたのは、最後の言葉なんだが…
小説を書くという創造が、実は「話を終わらせる・完結させる」ための創造である。
というふうに置き換えることもできるのではないか。
そう…
なんのために小説を書くのか。
創造するのか。
全ては、終わりが書きたいがためにやっているのではないか。
私はいい加減な性格なものですから、プロットなんか組み立てたりとか、メモとかこまめにしてるわけではありません。
ほとんど、頭の中の記憶に頼って書いております。
(最近では、それではいかんと、エクセルに書き留めるようにはしておりますがね。またサボり気味になってきた)
でも、おぼろげに「最後」はあるんですよ。
頭の中に。
書いてるうちに、人物が勝手に動き出して話が変わってしまうこともあります。
でも着地点は一緒なんですよ。
だからね、この言葉が凄い響いたというか…
終わらせるために書く。
これって、凄く単純なんだけど、できないことなんですよね…
書いているうちに、だんだん登場人物の「人間」が深まってくると、あれも書きたいこれも書きたいで、だんだん脱線していっちゃうこともあるし…
こういう人柄だと描き出そうとするあまり、余計なエピソードをくっつけすぎて、ゴテゴテになって話が崩壊してみたり…
終わりを書こうと焦るあまり、エピをすっ飛ばして、つじつまの合わない話になったり…
というわけで、この世には完結を迎えることができない小説がたくさんあるんだと思うんです。
私の場合。
お話を書こうと思うのは、なにかから刺激をもらった時。
曲とかドラマとか映画だったり…
絵だったり写真だったり小説だったり…
演劇の舞台であったり。
でもそれをそのまま書いたのでは、盗作とかになる恐れもありますし、なにより面白くない。
ので、自分の頭の中にあるその世界観だけを残して、お話を作るんですね。
書き出しは重要で、全てがそこから始まりますから、気に入るまで書き直します。
で、あとは、話のいきがかり上置いた布石は、なるべく忘れないようにします。
で、そこからは「終わり」に向けて書くというわけで…
もう、私の書いていた長編は、終わりが書きたくてしょうがなかったんですw
だからものすごいスピードで書いたものもあります。
だから、完結までこぎつけられると思うんですよ…
でも、こういうふうに「終わりを描きたい」と強く思って書くものは、多いわけではありません。
長編は、そういう意識がありますがね。
私の得意とする中・短編では、終わりを意識して書くことは少ないかも…
どちらかというと、おぼろげに見えてるだけで書き始めることが多いかな…
でも、「終わりたい形」みたいなものはどっかにあるから、書けるのかな…
やっぱ、終わり方を決めないで書き始めると、途中でえらい目にあいますねw
本当に書けなくて、苦しくて。
書けないな~苦しいな~っていうときは、話の終わりを考えるといいのかもなって、思いました。
終わり→終わるための布石→終わるための人物→終わるために始める
プロットの立て方ってこういうことなのかしら…
小説の書き方なんて習ったことないから、わからんw
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