こんばんは。
急に寒くなりましたね。
九州のほうは暑そうですが。
こちらは、20度ほどまで下がっています。
身体おかしくなる…
昨日、被災された作家さんが日記を書いてくださっていましたね。
被害の重い軽いにかかわらず、日常とはかけ離れた大変な生活をなさっていると思います。
気候も涼しくなっていますので、どうか無理だけはなさらないよう…
また、関西地方の大型台風の被害も、未だ復旧の目処が立っていないところも多いです。
7月初旬の豪雨災害もですが…
なにもできないのですが、一刻も早く安心できる生活が送れるよう、お祈り申し上げます。
皆様の癒やしになれるよう、せめて作品を更新し続けていきますね…
さて…お知らせです。
本日は、青玉を一緒にやっております、あにゃのお誕生日です。
ということで、作者ニュースではお知らせしておりませんが、誕生日プレゼントの作品を上げております。
ヘブシュガⅡにて、連載を開始しました。
ストックがないので、一日1ページの更新になります。
溜まったら、ページ増やしますw
どうぞ、カラフルⅤと共に、お付き合いいただけたらなと思います。
あ、あと。
検察側の舞台挨拶のレポを、コミュにて書いております。
どうぞご覧になってくださいまし。
短く纏めようと思ったんですが、無理じゃった…
長々と書いておりますが、ネタバレが嫌でない方はどうぞ御覧くださいませ。
それと、メッセのお返事ができなくなっておりまして…大変おまたせしております。
必ずお返事差し上げますので、お待ちくださいませね。
皆様の愛、届いております~!
ありがとおおおおお!
ということで、だいぶ余ったな…
あ、では…
台風の時、ニュースでよく「奈良県の十津川村」が出てきたと思います。
被害があったので、未だ雨が降ると避難情報がでているそうです。
こちらも早く平常通りの生活に戻れるよう、祈るばかりです。
十津川村と聞くと、私の歴史好きの血が騒いでしまいます。
台風被害の折なんですが、こういう機会だけどみなさんも十津川村の名前を見たと思うので、ちょっとだけ…
十津川村は、奈良県の山奥にあります。
とてもとても古い村です。
遡ると、壬申の乱とかまでいきます。
壬申の乱というのは、天智天皇が崩御し、息子の大津皇子と弟の大海人皇子が次の皇位を巡って起こした内乱です。
歴史の教科書で習いましたよね。
この十津川の方々は、それよりも以前から大和朝廷にお仕えしてきた人々だそうです。
なので、このあとの歴史の折々に度々登場し、天皇を助けているのです。
南北朝の頃は、南朝にお味方し大活躍。
楠木正成がこの地を拠点としました。
蛇足ですが、今でも南朝と北朝、どちらが正統なのかの論争があります。そしてそれは永久にかたを付けてはいけない問題になっております。
まあ、そだよね…万世一系の前提だからね。
江戸の頃は、十津川の人々は「郷士」を名乗ることが許されて、いわゆる「武士」の身分だったんですね。
これは…えっといつだったかな。大阪冬の陣、夏の陣のときに徳川側についたからだったかな。
そのお蔭で、天領(幕領)として認められて、年貢なんかは免除されていたそうです。
そも、山奥過ぎて年貢になる米が育ちにくい場所だったようです。
で、特に幕末は、いろいろな話が伝わっております。
志士を排出したり、お尋ね者になっていたり、傷ついた他藩の志士たちを匿ったりしていたそうです。
御所の警備にもいっていますし、戦争にも出ています。
戦国の頃に徳川側についたとは言え、十津川郷の人々は、天皇にお仕えしているという意識が高かったそうです。
なので、自然と幕末は「討幕側」に力を貸すことになっていったのでしょう。
要するに、「尊王」「勤王」を、奈良に都がある頃から、ずーーーーーっと、ずーーーーーっとやってきた土地ってことなんです。
都が奈良から近江に行こうと、難波に行こうと、また平城京に戻ってきても、平安京に移っても…江戸時代になっても、変わらなかった。
こういう地域は、他にないんですね。
今は、ここまで激烈な勤王な方は居ないと思うんですが、でも独特の風土が残っているといいます。
だので、一回は訪れてみたい地でございます。
奈良は何度も行っているんですが、ここまではやっぱり遠いので行けてないんです…
もしも興味が湧いたら、行ってみてくださいましね。
台風のニュースで見かけるたびに、ハラハラとしておりました。
どうか、早く復旧することを願っております。
平成最後の夏は…
本当に色んな意味で、記憶に残る夏になりましたね…
皆様、本当に無理をせずお過ごしくださいませね。
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