こんにちは!
今日はいい天気。
風もちょっとあって、絶好の花粉日より。
お肌がちょっと荒れてきて、必死に保湿・マッサージしてたんですが、どうやら花粉による肌荒れみたいです。
冬場の乾燥のカイカイ用にムヒソフト買ったんですが、それつけて極力触らんようにしときます…
ということで、前々回から続くボレロ考(あにゃ命名)。
このボレロというのは、同じようなメロディーが同じようなテンポでずーっと続いていきます。
ダンスをやったことのある方ならわかると思うんですが、同じようなメロディーだと、非常に踊りにくいんですね。
そして、ベジャールのボレロというのは同じような振りが続く。
動き自体は単純なもので、とっても難しいものじゃないんです。
まあ、表現しているのは同じようなフレーズの続く曲のメロディーですからね。そりゃそうなりますよね。
だので、ベジャールのボレロのはひっじょーに難しい。
単純に見えて、実はとってもこの作品は難易度の高い踊りであるんですね。
正直、訳わかんないでみると飽きると思います。
14分とか、そんくらい、おんなじようなことが繰り返されるわけですから。
でも、是非見て、感じてほしいなあと思うのです。
同じように振り付けをしているのにも関わらず、どうしてこんなに踊る人によって違うのか。
どうして心に来るものが違うのか。
モダンバレエって、感じるものなんじゃないかと思っています。
クラッシックは…そうだな。
ストーリーだったり、昔から伝わる踊りの技術だったり…感じる点は結構、普通のお芝居とかと変わらないんだと思います。
モダンバレエというのは、人間の感情に訴える本能的なものっていうか…
ぬあー!…ちょっと上手に言えませんが。
そのダンサーの持っている人間的な資質、身体的な資質。
そして振り付けをした人の、訴えたいことをもっとダイレクトに受け取るもの。
だめだ…上手に言えないw
いうかて、私、そんなにバレエに詳しいわけじゃないんです。
ただ、演劇をやっていたので。
あ…バレエもちょろっとかじりましたがね…
表現をすること、そしてそれを受け取ることの訓練は今までやってきたつもりです。
その上で考察しております。
だので専門的なことは何一つ言えないんですが、私の感じたまま、コレを書いています。
ギエムのボレロは、正確無比。
人間なのに、人間ではないかのような正確な動きで。
全部がシャープで美しい。
そして、溢れ出てくる「踊ることが好きだ」というギエムの内面がたまりません。
そしてジョルジュのボレロ…
最初見た時、正直拒否反応でした。
だって、まずメイク…
舞台メイクですからね、濃いですよ。
そして、80年代ですからね、濃いですよ。
あ~…やっぱり、表現にも流行ってありましてね。
80年代というのは、日本もそうだったんですが、なんでも「過多」な時代だったんじゃないかと私は思っています。
だので、ダンスの表現も現在よりも過多な気がします。
それを踏まえて見ていただくと良いかと思います。
後は、ジョルジュの肉体。
これがね…なんか、やたら生々しいと言うか…
なんだろわかんないんだけど、最初見た時、「これ、私ダメだ」と思ったんです。
好みじゃないわって。
でもこの前見た時、なぜか不思議なことに…この「肉体」が凄いなあって思ったんです。
男性なのに、非常に関節が柔らかく。
多分腕と肩の関節はギエムより柔らかい気がする。
無駄なお肉はどこにも付いていなくて、だけど男性らしさを感じる肉体ではなく、中性的。
柔らかいんだけど、それだけではない靭やかさ。
そして、何よりも凄いのは…
ジョルジュの内面が「無」なんですよね。
あ~…これは見る人によりだと思うんですが、私はそう感じました。
ジョルジュがボレロを踊っている時、「無」の境地なんじゃないかと。
これは、なかなかできることではないし、役者でもダンサーでもそのような作品に出会うことは、非常に難しいんです。
彼のパーソナリティとかそういうものを超越して、「メロディー」になっているんです。
ベジャールの中にある「メロディー」そのものといえばいいのか。
晩年のベジャールが、ボレロを踊るジョルジュを見て涙したというのは、そういうことだったんじゃないかと。
彼の作品を、彼が思い描く通りに…いや、それ以上に表現した、「唯一無二」の人だったんじゃないかと。
こういうことはめったに起こることではありません。
わかりやすく言えば、「当たり役」というやつです。
誰がどう見ても、この役は彼しかできない。
もちろん他の人が演じても、それなりのラインには届くと思います。
でも、違う。
…こんなところで文字制限…
くう…
ということで、次回に続く。
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