こんにちは。
全身筋肉痛ののさまうんてん改め、のさまじょです。
山の日、皆様いかがお過ごしでしたでしょうか。
私は金沢でお忍び旅を…
いや、翔ちゃんみたいにすぐ見つからなかったけど。
つか、誰に見つかるねんw
えー、実はこんな長い時間外出するのが久しぶりで…
なんかも全身筋肉痛でだるくてですね。
頭がちっとも回っておりません。
お礼とかやることたくさんあるんだけど、ひとまず明日以降にさせてください…
もう何していいのかわからんw
ファン登録1700名様突破が、おもったよりも早くてですね…
実は準備が進んでない!w
やばいw
ということで、こちらの御礼もちょっとおまちくださいませ。
いずれ派手にぶちあげたいと思います♡
ということで、昨日は金沢に行っておったわけです。
うちから近いので、何度か遊びにはきておるし、仕事でも馴染み深い場所です。
でも一個だけ行ったことのないとこがあって。
「ひがし茶屋街」
ここは前田家支配のころにできた茶屋町で、ひがし廓とも呼ばれていたそうです。
簡単に言えば、金沢の夜の遊び場よねw
今でも古い建物が残って、歴史文化遺産なんだってさ。
そんで、私が行った「志摩」というのは、そのなかでもぶっちぎりに凄い建物で。
なんと1820年に建てられた当時のまま残っているんです。
おおお…
もうね、大興奮ですよ。
写真すごい撮ったw
お茶屋さんの話が書けるって思ってwww
資料収集に余念がございませんwww
歴史的建造物なので、国指定の重要文化財にもなっています。
だので、なるべく建物のなかは静かに歩いてくださいと言われます。
そして、靴下を必ず履かなければなりませんw
まるでタイムスリップしたみたいな感じでした。
加賀藩では二階建ての建物って基本禁止だったそうです。
だけど、お茶屋さんというのは二階建てが許されたそうです。
一階が台所などの生活スペースで、二階がお座敷だったそうなので。
なので、低い建物のなか、お茶屋さんは非常に立派な建物だったそうです。
観光ガイドみたいなおじさんが、一生懸命お話してくださいました。
やっぱり文字で解説をみるよりも、人の口から伝えて貰ったことのほうが頭に入りますね。
そしてお茶屋遊びは、お武家さん禁止だったそうです。
藩のほうで、お武家さんはそういうのは禁止されていたそうで、志摩のお客さんは加賀商人の方だったようです。
なるほど、室内には武張ったところは見えなく、装飾品も武士が好みそうなものではなく、柔らかいものが多かった。
基本、武家よりも商家のほうが裕福だったので、お茶屋さんも調度品は贅沢品。
一つ一つがやっぱり装飾が凝っていて、じーっと観察してしまいます。
二階のふすまの取っ手は、全部違う七宝焼が埋め込まれてたりとかね。
窓のとこにある手すりに入ってる模様も縁起の良い物ばかりだったりね。
楽器なんかもそのまま残ってて展示されてたんですが、お琴の装飾が、今だったらうん百万しそうなものが使われてたり。
畳も、表の茣蓙なんかは架け替えてますが、芯は当時のままだそうです。
座っていたら、百何十年も前の人がここで何を思っていたんだろうと思いを馳せてしまいます。
明治・大正・昭和の時代も残ってきた建物なので、多少は当時のままということもないんだろうけど、でも江戸当時のまま残っているということは、本当に貴重なことで。
そら、京都とか行ったらもっとたくさんのこっているんでしょうがねw
お城とか、武家屋敷以外でこういう風に残っているのは貴重なんじゃないかな。
しかもお茶屋さんですからね…
どんな人達が、ここでどんな思いで生きていたんだろうと思う。
憂さを晴らして、明日からまた頑張ろうと思っていたのか。
商売の話をまとめようと、ここにきていたのか。
好きな芸姑さんに入れあげて、財産を食いつぶしたりした人も居たんだろうな…
そして一階には、彼女らの生活スペースがあるんですが、その一部が資料室になっていまして。
当時の芸姑さんたちが使ってた三味のバチとかかんざしとか、お酒をのむ道具とかが展示されていました。
これも実際に使われていたものです。
もう、かんざしと三味のバチ…当時、どのようなことを思って、女性たちはこれを持っていたんだろう…
その他、お道具は実際に手で触れられるものも展示されていました。
写真を取って、お道具も手にとってみたりとかして…
とってもとってもお茶屋の歴史を満喫いたしました!
楽しかったぁ…
のさまじょ、どんな建物をみたんだろうとご興味のある方は、グーグル先生に聞いてみてください。
HPありました。
金沢 ひがし茶屋街 志摩
で検索すると出てきます。
ぜひ、ご覧になってみてください。
ということで、今日はここまで♡
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