こんばんは。
閑話休題の3です。
あれ?前4じゃなかったと思ったあなた。
そうなんです!
次は5の予定だったのですが、3抜けていたんです…
あああ…w
なので、今回を3、次を5とすることにしますw
私には年の離れた姉がいるのですが。
こいつがまあ口が悪い。
多分、全日本口喧嘩選手権とかあったら、かなり上位に食い込めるほど。
いつまでもねちねちと過去にされた嫌なこと覚えててね。
そんで何十年もずーっと恨んでるんです。
私も血の繋がった姉妹ですのでそういう性格なのですが、姉貴のはもう半端ないw
誰に似たのかと思うのですが、多分父です。
そう覚えてる方もいらっしゃるかと思いますが、Rollingとうちゃんです。
母は、どちらかというと大雑把。
男兄弟の中に女一人育ったので、まあ大雑把。
反対に父は、裕福な庄屋の出なので、どこか坊っちゃん臭がする。
そして恨みがましい。
豊臣と徳川みたいな感じです。
私は大半を母から引き継いだのですが、やはりパーツのどこかは父に似ています。
そして性格の一部の恨みがましいのも、父から引き継ぎました。
姉貴は、大半を父から引き継ぎ、母の要素は大雑把だけをもらったようです。
運動神経も、外見もついぞ母とは似ることはありませんでした。(今は体型が…ゲフン)
そんなこんなで見事にブロークンな姉妹ができあがりました。
しかしそんなわたしたちにも共通項がありまして。
病弱。
えーっと思う方も居るでしょうが、姉妹揃って病弱。
小さい頃から病院にお世話になりっぱなしの子供でした。
私のが多少強く、今ではぜんそくの発作もでません。
さて、そんな姉妹も二人揃って四十を超えました。
まあ蓋を開けてみたら、妹はもっと身体が弱くなって半寝たきり。頭も多少どころか、結構イカれてます。
姉貴のが今では元気に主婦してます。
子供を設け、ほんとに元気に母ちゃんしてます。
ただ、こっちもなんかイカレテルとは思いますがねw
何でこんな話をするかというと、今日姉貴の誕生会だったのです。
誕生日自体はまだ先なんですが、連休の最終日にみんなでご飯食べよってことになってね。
でも私は全く知らなかったのですがね。
言えや…家でメシ喰うならよ…w
いっつもそう。
事前通告無しw
心の準備をさせろ!w
でまあ、四十路の誕生会だったわけですがね。
なんか色々思い出しまして…
小さいころは、本当に仲の悪い姉妹でした。
父親の偏愛があったりね。
それに対抗して、母親は片方ばかり可愛がる。
今みたいに育児書が溢れてて、育児情報がたくさんあるわけじゃないし。
なによりふたりとも手のかかる子供だったからね。
でも元気な時は極力放置されてたけどw
年が離れてるのもあって、姉貴とまともに話せるようになったのはおとなになってから。
小さい頃は奴隷要員でしたからねw
一時期は、お互いの恋愛相談をするまでになっていたんですが…
姉貴が結婚してから、またなんか溝ができました。
いや、正確に言ったら子供産んでからかなあ…
何かが変わってしまって。
ちょうどその頃から私が病みだしたってのもあるんだけど、なんか人が変わった…
いや違うな…取り繕おうとしていた仮面が外れて、地金が出てきたっていうか…
じわじわと私をばかにするような発言も増えて。
無神経な言葉も投げかけられました。
でもねえ…本人に悪意がない。
そして窘めるはずの母親は、大雑把だからそんなこと気づきもしない。
父親は、姉のことノータッチだから何言ってても馬耳東風。
一時期、苦しみましたよ。
ほんとね、近親憎悪ってああいうこと言うんだなって。
そう思います。
もう骨の髄までにくくて、一緒にいると不快で。
でもある日、ストンと腑に落ちたことがあって。
『あ、姉貴は私と生きるステージが変わったんだ』
という風に納得しました。
母親になったからとかそういうことじゃなく…
姉貴は人をバカにすることで自分を保つ人間になってしまったのだと、それを自分で諾としてしまったのだと。
そう理解しました。
そう思ってから、宇宙人や外国人なんだと思って接するようにしたら腹が立たなくなりました。
もう憎くもありません。
遠い異国の人です。
文化も言語も違って当たり前なんです。
自分に非があって素直に謝らなくても、宇宙人だからいいんです。
論点の違うことを延々と喋っててもいいんです。
外国人だから、日本語が不自由だから。
ここまでくるのに10年掛かりました。
時たままだむかつきますけどね…w
この経験が今も、これからも役に立つことになろうとはw
ある意味姉貴に感謝なんだろうなw
人は人を磨く石。でもどう磨かれるかは自分次第。
そんな言葉を思い出した一日でした。
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