こんばんは。
昨日は中途半端なとこで終わりました…
2000文字の壁、また今晩も挑戦です。
ということで最大の敵といっていい今川義元を倒した信長は、これで一気に全国区で名を知られるようになります。
これをきっかけに今川氏の支配を逃れた松平家康(後の徳川家康)と清洲同盟という同盟を組んで、とりあえず東からの脅威はなくなった。
だから西に向けて領土を拡大しようとするんですね。
んでも、まだ隣の美濃には舅の道三が死んじゃったとはいえ、斎藤氏がまだ勢力を持っている。
道三には懐いていたけど、息子なんぞ眼中になかった信長は、なんと斎藤氏が内部分裂とかしてる間に戦を仕掛けたりして、結局滅亡させてしまうのです。
濃姫は一体どんな気持ちだったんだろうか…
ここで不思議なのは、濃姫ってよくドラマとかだと本能寺まで一緒に行って槍を持って戦って一緒に死んじゃうっていうのを見るけど、実はこれも創作。
史実の濃姫って、本名も帰蝶だか胡蝶だかわからないし、実は織田家に輿入れした後の詳しい消息は、一切わかってないのです。
戦国の頃の女性の記録って、詳しく残ってる方が珍しいんですってさ。
だからよくさ、大河で「江姫」やったよねw
その中でも織田家の女性の記録は詳しく残ってる方なんだそうだけど、お濃さんはその後呼び名が変わってるみたくて、まだ記録に出て来る安土殿とかが濃姫なのかは研究が進んでいなくてわかっていないそうです。
で、信長は妹のお市を近江の浅井氏に輿入れさせたりして、どんどん親戚という名の味方を増やしていくんです。
でね、この頃らしいです。
信長が天下を統一してやるって思ったの。
俺、いけんじゃね?って思ったんだろうねw
まあでも、この風雲の時代に生まれて天下に色気示さないほうが国持ち大名としてどうなの?って感じだから、いわゆる信長も夢見がちな男の人の思考に違わずだったんでしょうw
この頃の中央(京都)というのは、足利幕府はもう名ばかりになってて、その辺を領土にしてる勢力のある武士に好き放題にされていました。
思い通りになる傀儡の将軍とか立てられちゃってね。
でも足利将軍側も黙っちゃいない。
でも自分じゃなんにもできないから、書状とか送って味方を増やそうとする。
もう権謀策謀が渦巻く、伏魔殿みたいになってたんですね。
そんでお公家さんたちも、これを機に養って貰おうとか色々考えてるわけです。
武家の時代になってから、お公家さんはあんまり良い目を見ていませんからね。
そんなこんなで色んな人のいろんな思惑がぐっちゃぐちゃに絡み合っています。
だけど、ひとつだけ確かなことがありました。
それは「強いやつに靡く」ってこと。
信長は強くて頭のいい人でした。
フロイスという宣教師が後の世に日本にやってきて布教していくんですが、この人は時の権力者の信長をよく書き残しています。
曰く、とても義理堅い人。
そして即決即断の人であるということも書かれています。
これだけ読んでいると、世に伝わってる信長像とは全然違う印象ですね。
その他にも当時のお武家さんとかお公家さんが日記を書き残しているのですが、信長は非常にきめ細やかな心遣いを見せたりすることもあったそうです。
ここから推測できるのは、智謀も確かなものを持っていたんだろうなと。
で、びっくりするんですが、例えば家康なら本多正信とか井伊直政とかね懐刀みたいな右腕が必ず皆さんいらっしゃるんですが、信長は居ないんです。
部下は部下として使い、そしてぜーんぶ自分で決めてたんです。
これはすっごいことなんですよ。
人間、なんか相談したくなるじゃん?w
でも信長はそういう人物を作らなかった。
その信長の一番の凄い所。
この後、京都に入っていよいよ信長は日本の表舞台に出てくるようになるのですが、もういろいろやって戦もたくさんして、負けたりもするけど天下を統一していくような立場になっていくわけです。
最終的には朝廷からも右府(右大臣)という位を貰ってます。
あくまでこの国の頂点は天皇です。
だからそれ以外の臣下の身としては、右大臣というのは武家として最高の位を貰っているのです。
その信長。
ある日天皇に書状を送ります。
”譲位しろ”と。
この時の天皇は正親町天皇という人だったのですが、天皇やめれと言われて辞める人なんて居ないですよねw
ああ…じぇんじぇんまだ足りないw
この天皇と信長の問題については、あまり注目する人もいないだろうということで、特にここについて語ってみたいと思っているのですが、また2000文字の壁w
ということで、まだ信長話は続いていきます。
まて、次回。
のさまじょおばさん
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