第16章 雄英文化祭編
「練習、あんなに頑張ったじゃん!」
「わかってる。わかってるけど……!」
耳郎はぎゅっと目を閉じ、深呼吸を繰り返した。
ベースとボーカル。
みんなを引っ張っていく役目。
自分が提案したライブなのだから、最後までやり遂げたい。そう思って練習を重ねてきた。
それでも、いざ本番が目の前に迫ると、身体が思うように動かなくなりそうだった。
そんな耳郎の隣で。
「大丈夫よ、耳郎さん」
まるで散歩にでも出かけるかのような落ち着いた声がした。
振り向くと、おもちがいつもどおりの涼しい顔で立っていた。
衣装も乱れひとつなく、ギターを肩に掛けた姿は堂々としている。これから大勢の観客の前で歌うというのに、緊張の色はまるで見られなかった。
「……おもち、なんでそんなに平気なの?」
耳郎が半ば恨めしそうに尋ねる。
「どうして?」
「どうしてって……!もうすぐ本番だよ!?私、今にも心臓が口から飛び出しそうなんだけど!」
「ふふ。心臓が飛び出したら困るわね」
「そういう問題じゃないってば!」
耳郎が頭を抱える。
それを見たおもちは、少し考えるように首を傾げたあと、ふっと微笑んだ。
「じゃあ、緊張が吹き飛ぶおまじないをしてあげる」
「……え?」
耳郎が顔を上げた。
「おまじない?」
「ええ」
おもちはギターを背負い直すと、耳郎のほうへ向き直った。
そして、ゆっくりと顔を近づける。
「……え、ちょ、なになに!?」
突然の距離の近さに、耳郎の身体がぴたりと固まった。
青い瞳が、すぐ目の前にある。
整った顔立ち。柔らかな微笑み。ほのかに香る、彼女のジャスミンの香水がかすかに香る。
耳郎が状況を理解するよりも早く。
ちゅっ。
小さなリップ音が、舞台袖に響いた。
おもちの唇が、耳郎の頬に軽く触れたのだ。