第8章 脱走した犬
「――っ、はぁっ!」
勢いよく連続する悪夢の断片から引き剥がされるように、は激しく息を吐き出しながら意識を取り戻した。
気がつけば、やはりそこは801号室の自室の前。
恐怖に震える手で思わず近くの窓ガラスを覗き込むと、そこに映っていたのは見慣れたいつも通りの大人の姿をした自分だった。
「よかった……戻ってる……っ」
安堵の息を漏らしながらも、先ほどまでの生々しい感覚を思い返して唇を噛む。
そういえば、歩いているときになんだか景色が違って見えた気がする――いつもより目線が低かったのだ。
あの違和感の時点で引き返していればと、自分の不注意さに激しい悔恨が押し寄せる。
しかし、立ち止まっている暇はない。
は乱れた呼吸を整え、今度こそあらゆる違和感を見逃さないよう、神経を極限まで尖らせて廊下を進み始めた。
一歩一歩、壁やドアの様子を慎重に確認しながら進んでいく。
すると、804号室の前に差し掛かったところで、の足がピタリと止まった。
そのドアには「ペット禁止」の警告ポスターが貼られているのだが、いつもは固く閉ざされているはずの扉が、怪しく数センチだけ隙間を開けている。
(……ドアが、開いてる?まさか、これが今回の異変……!?)
直感的に凄まじい危険を察知し、心臓が跳ね上がる。
すぐに踵を返し、一刻も早く自室へと引き返そうとしたその瞬間だった。
開いたドアの隙間から、まるで夜の闇そのものが形を成したかのような、巨大な黒い犬の影が猛烈な勢いで飛び出してきた。
「っ!?いやっ――!?」
悲鳴を上げる間もなく、背後から凄い勢いでのしかかる。
衝撃で激しく床に打ち付けられ、は完全にうつ伏せの状態で廊下へと押し倒されてしまった。
背中に乗る重みと獣のような荒い息遣いが首筋に吹き付けられ、全身が恐怖で震えた。