第55章 さくらの精
【さくらの精】
僕がこれを体験したのは、10年ほど前の春のことでした。
このころ、僕はある地方の大学に通っていました。
もとから、根が明るい方ではなく、人付き合いも苦手だった僕は、大学生になってもやはり友達作りがうまくいかなかったのです。別にハブられているわけではないものの、同級生がサークルのコンパに参加したり、彼女や彼氏を作って楽しく過ごしている中、休日はひとりで過ごすことがほとんどという、孤独な青春を過ごしていました。
冒頭に述べた体験をしたのは、僕がこんな大学生活を送って2年目、二回生のときでした。
春先、桜が満開になり、ハラハラと散り始めた頃のことです。例によって同級生たちがお花見だ、ドライブだと騒いでいる中、僕はやはり一人ぼっちでした。
それでも桜を見ようと、人がいないところを探して自転車でぐるぐる彷徨っている内に、日が暮れ始めてしまいました。その頃になってやっと、大学の北の方、あまり人が来ないところに見事な枝ぶりの桜を見つけることが出来たのです。
もう、あたりは真っ暗でした。しかし、その桜の木の近くにはおあつらえ向きに街灯があり、その白銀の光がぼんやりと満開の桜を夜空に浮かび上がらせていました。
夜桜見物になったけど、これはこれでいいか。
そう思いながら、僕は近くにあった大きな石に腰を下ろし、桜を愛でながらスナック菓子を食べたり、買ってきた炭酸飲料を飲んだりしていたのです。
10分ほどぼんやりそうしていたでしょうか。あたりにさっと冷たい風が吹き渡りました。
そろそろ身体も冷えてきたし、帰ろうか、と思った時、不意に桜の木を挟んで自分と反対側に人がいることに気づいたのです。
あ…自分ひとりじゃなかったのか。
そんなふうに思い、僕は急に気恥ずかしくなりました。そして、その人――それはノースリーブの白いワンピースを着た女性だったのですが――に、気づかれないうちに退散しようと思ったのです。
そっと自転車に乗ろうとした時、僕はなぜかちょっと気になり、女性の方を顧みました。すると、どうでしょう。女性の方もこちらを見ていたのです。
だいたい距離にして5〜6メートルほどでしょうか。
年の頃は20歳くらい。自分と同じくらいだと思いました。
その人はにこりと笑うと『上』、と一言だけ言いました。
上?