第1章 ありがとう、さようなら、ごめんなさい
「すまない八重、その気持ちに応えることはできない」
本当に申し訳なさそうに言う彼に、そんな顔ををさせてしまった申し訳なさと自分の気持ちを吐露してしまった後悔が押し寄せた。
当たり前だ。
今まさに大きな戦いが始まろうとしているのだから。
弟想いの彼が弟のために全身全霊を掛けることなどわかっていたのに。
それでも言わずにはいられなかった。
だってこの胸が、何百年と凪いでいた私の中の海が、貴方と出会ってから満ち干するようになり、波を立てるようになったこの海が、嵐の前のように静かに、不気味にザワザワさざ波立つ。
今言わなければもう二度と伝えることが出来ないのではないかという思いに駆られたのだ。
答えなどわかっていたはずなのに。
私は唇に力を入れ、震えを抑えることしかできなかった。
そんな私に彼は「もし…」と言葉を続けた。
「もし世が世なら、八重と歩める生き方もあったのかもしれないな」
そんな言い方、ズルい。
そんな風に言われたら、少しでも貴方が私のことを想ってくれていると錯覚してしまう。
私は俯いた。
彼は一歩私の方に近づいた。
視界に彼のつま先が入っている。
今、上を見たら触れるくらい近くにいる。
彼は両手で私の頬を包むように持ち上げる。
視界が上がると想像していたよりもずっと近くに彼の顔があった。
「約束してくれ。今後何があっても決して力を使うな。お前はまだ人として生きていける。この先、お前の中にある呪いが解けて、きちんと人として死ねる時が必ず来る。信じろ。そして、それまで生きろ」
涙が溢れる。
彼がこんなに近くにいるのだからもっとよく顔を見つめたいのに、涙が後から後から溢れてぼやけてしか見えない。
「八重は泣き虫だな」
彼がフッと笑って私をその胸に抱きしめてくれた。
力強く、それ以上に優しく。
私の涙は彼の服に全部吸われていく。
「八重は1000年近くも仏に仕えてきたのだろう?いくら仏でもそろそろ八重を救済するだろう」
「比丘尼を名乗ってはいますけど、もう随分前に比丘尼はやめているんです。私の呪いは仏様でもどうにもできないようですから」
「なら俺を信じろ。俺はお前が好いた男だぞ」
どこかで聞いたことがある言い回しに思わず「ふふっ」と笑いがこぼれてしまった。
本当にシリアスブレイカーなんだから。
