第80章 決別
「どこに行っていたの? 急にいなくなるから、心配したよ」
部屋に戻ったゆきを待っていたのは、まだ眠気の残る、無一郎の心配そうな瞳だった。
彼の心配そうな表情に、胸の奥がチクリと痛む。義勇に乱暴に掴まれた手首の熱が、まだ肌に残っている。
それを悟られぬよう、ゆきは震える指先で寝間着の合わせを強く握りしめた。
「ごめんなさい。少し喉が渇いて、台所にお水をもらいに行っていたの」
不自然なほど震えた声。それが「義勇に追い詰められ、泣きそうになったせい」だとは、死んでも言えなかった。
無一郎は一瞬、不思議にゆきの乱れた髪を見つめたが、深くは追及しなかった。
「僕そろそろ屋敷に戻るね…また来るから」
無一郎は、そう言い残し自身の屋敷へと帰って行った。
独り取り残された部屋で、ゆきは深く息を吐き出す。
だが、立ち止まっている暇はなかった。そろそろ稽古が始まる時間だった…。
道場の重い戸を開けると、既に義勇が独り、立ち尽くしていた。
「遅れて、すみません」
その声に、義勇の肩が微かに揺れる。だが、彼は振り返ることも、今朝の出来事を謝罪することもしない。
ただ、冷静で無機質な声で「始めよう」とだけ言った。
しかし、いざ稽古が始まれば、義勇の異変は明らかだった。
いつもなら絶対に崩れない彼の剣が、驚くほど危うい。
視線はゆきを捉えているようで、目が合う度に泳ぐ…。
「…っ!」
一瞬の隙。ゆきが踏み込むと、竹刀は容易く義勇の胴を打った。普段ならあり得ない「一本」だった。
「それまでだ」
義勇は打たれた箇所を見ることもなく、告げた。
「今夜の任務だが、胡蝶と二人で十分だと判断した。お前は…来ても来なくても、どちらでもいい。好きにしろ」
突き放すような言葉に、ゆきは反論した。
「そんなの、師範が決めてください!なぜ私に委ねるんですか?今朝の師範も意味が分からなかったし…もう私を混乱させないでよ!義勇さんなんか大嫌い!」
ゆきは、手に持っていた竹刀を義勇の背中にぶつけて道場から走り去った。
あまりの出来事に、義勇の思考が止まる…。
ぶつけられた背中は痛くなく、義勇の心だけが痛かった…。