第5章 好きか依存か
探偵社の午後。
書類を繰る音と、誰かのタイプライターのリズムが微かに響いている。
香織は自分のデスクに座りながらも、視線だけが何度も窓の外に滑っていった。
ペンの先で無意識に机をコツコツと叩く。
報告書の文字は途中で止まったまま、紙の端には小さなペン跡がいくつもついていた。
香織は空港で話した太宰との会話について考えていた。
『……私、太宰君に置いていかれるのだけは嫌だから』
『……君は、私にはもったいないくらいだ』
『何それ』
『そういう逃げ道みたいな言い方、もうしないで』
『……わかったよ。じゃあ次は、君が私を止めてくれ』
『次なんてないの、ちゃんと隣にいて』
(何で私はあんなこと言ったんだろう?)
自分の言葉に驚いてしまう。
その理由を考えてはため息、考えてはため息。
そんな香織に、ふと視線を向けたのは与謝野だった。
診療用の白衣を脱ぎかけのまま、カップに注いだコーヒーを片手に近づいてくる。
「……香織、あんたさっきから何度目だい、それ」
香織ははっとしてペンを置いた。
「あ、すみません、ちょっと考えごとしていただけで‥‥」
「ふうん?」
与謝野は隣の机に腰を預けて、香織を上から覗き込む。
「怪我でもした?頭でも打ったとか?」
冗談めかした声に、香織は小さく笑って首を振った。
「違いますよ、ただの寝不足みたいなものです」
笑いながらも視線は与謝野の肩越しに窓へ流れる。
ごまかす声はいつもより少しだけ弱かった。
「……寝不足ねぇ」
与謝野は香織の肩を軽く叩くと、何も言わずに席へ戻った。
しかし、机に戻るとすぐに書類の陰で、ちらりと香織の様子を伺う。
いつもの香織なら、机に向かえば数分で切り替わるのに今日は、違う。
そして仕事終わり。
探偵社の灯りが落ちる頃、与謝野はさりげなく香織の腕を取った。
「ほら、さっさとカバン持って」
「え……?」
「いいから、ちょっと付き合いな、言っとくけど帰さないからね」
香織は苦笑いを浮かべながらも、逆らわずに与謝野に付いて行った。