第4章 「触れてはいけない花」
春の名残がまだ少しだけ漂う中庭で、はベンチに腰を下ろしていた。
柔らかな風が髪を揺らし、散り残った桜が足元に落ちていく。
――でも、胸の中は、春の移ろいよりもずっと落ち着かない。
(……先生に、抱きしめられた)
昨夜の出来事が、何度も頭の中でで反芻される。
あのときの体温、耳元で響いた声――思い出すだけで呼吸が乱れていく。
どうしてこんなに息が苦しいのか、自分でもわからなかった。
ただ、心臓が騒いで、落ち着くことができない。
「あ、、いたいた」
不意に名前を呼ばれて、は肩をびくりと震わせた。
振り向くと、五条が片手をひらひら振りながら歩いてくる。
陽だまりのような、いつも通りの笑顔。
――それなのに。
(……なんで。顔を見ただけで、こんなに苦しいの)
痛む鼓動に耐えきれず、は視線を逸らした。
まっすぐ見つめたら、何かが崩れてしまいそうで。
「昨日、あの後大丈夫だった?」
何気ない一言が、胸の奥をざわつかせる。
心配してくれている――ただそれだけなのに、どうしてこんなにも揺れるのだろう。
「……昨日は、すみませんでした。なんか、取り乱しちゃって……」
かろうじてそう言うと、は深く頭を下げた。
目を合わせないように、必死で平静を装う。
五条は気にした様子もなく、ひょいと肩をすくめた。
「いや、別にいいけどさ。たまたま教室通りかかったら、が寝てて、起こそうと思ったら急に飛び起きるからさ。びっくりしたよ。怖い夢でも見た?」
軽い声色。
――その軽さが、どうしようもなく胸に刺さる。
(先生はいつも通りなのに。私だけが……おかしい)
返事をしなければと思うのに、言葉が見つからない。
ほんの少し間を置いて、ようやく声が出た。
「……はい。ちょっと、変な夢で……」
途切れそうな声だった。
夢に出てきた女の影が一瞬よぎり、は視線を落とした。
「ふーん。まぁ寝るのも大事だけど、教室の机はおすすめしないなぁ。首痛めるよ?」
そう言って、五条がの隣に腰を下ろす。
距離が一気に縮まる。
ふわっと香る彼の洗い立てのシャツの匂い、耳に近い声。