第7章 胡蝶の夢
朝の光がやわらかく差し込む部屋の中、白いシーツにくるまりながら、紫苑はまどろむ意識の中でゆっくりと目を開けた。すぐ隣に感じる、温かな存在。背中越しに伝わる呼吸のリズムが心地よくて、もう少しだけこのままでいたいと思った。
けれど、胸の奥に引っかかる感覚があった。
夢の余韻が、まだ消えずに残っている。
何かを失ってしまうような、ひどく悲しい夢だった。
紫苑は、シーツの中から腕を伸ばし、隣で寝ている甚爾のシャツの裾を軽く引いた。
寝ぼけた声が漏れる。しばらくすると、甚爾がうっすらと目を開けた。
「なんだ、起きたのか」
「うん……今何時?」
「10時。今日は出勤か?」
「ええと……」
シーツの隙間からサイドテーブルへと手を伸ばす。
手帳を手に取り、まだかすむ目を軽くこすりながら今日の日付を確かめた。
「ううん、非番」
「そうか」
それを聞くと、甚爾は腕を枕にしたまま、目を閉じた。紫苑は、そんな彼の横顔をぼんやりと眺める。
あたたかい。
ちゃんとここにいる。
それなのに、心の奥がまだざわついていた。
紫苑は、自分の胸のあたりをそっと押さえるようにしながら、ぽつりと呟いた。
「……ねぇ甚爾」
彼は微かに顎を動かし、半分眠ったような声を出す。
「あ?」
「今ね、すごく悲しい夢を見た」
その言葉に、甚爾はゆっくりと目を開ける。
紫苑の方へと視線を向け、ぼんやりとしたまま応えた。
「そうかよ」
相変わらずの素っ気ない返事。でも、紫苑にはそれが心地よかった。
夢の中の悲しさが、じんわりと現実に溶けていく気がした。
「夢でよかったなって思った」
そう言うと、甚爾は少しの間黙って、それから静かに息を吐いた。
そして、紫苑の髪に指を通しながら、無造作にくしゃっと撫でる。
「……そうだな」
ただそれだけの言葉。
けれど、その指先の動きがひどく優しくて、紫苑は思わず目を細める。
夢はもう、どこかへ消えていった。
隣には、ちゃんと甚爾がいる。
彼の大きな手のひらの温もりが、ここにあることを教えてくれる。
紫苑はそっと目を閉じ、まどろみの中へと戻っていく。
カーテンの隙間から差し込む光が、シーツの上を静かに照らしていた。