第1章 禍根【江戸後期:鬼舞辻無惨】
役人を一掃し血の池地獄と化したそこ。
人間を貪り喰らえば力が漲り、私はまた強くなることを実感した。
周辺の人間は役人がここに来る前に退避させたからか、人おろか猫もネズミ一匹もいない。
それを知っていて隠れるわけでもなく、堂々と満月が照らす奉行所の屋敷の前で狩った人間を貪っていた。
死体の山の奥、ふと見上げればうっそりと立つ女がいた。
喜怒哀楽も感じない、ただ感情を伴わない目。
女より強いハズの男が山のように血を流して死んでいる状況でも、ただこちらを見ているだけ。
「あなたは人間を喰らうとき、何を思っているのですか?」
震えもない。おそらくは怯えという感情が欠落したような淡々とした声。
己が何をしているのかを完全に見失うほどに、体が動くことを放棄した。
鬼狩りでもない。
役人でも、侍でもない。
血の色をそのまま映すような純白の着物に淡い金箔の帯
鴉の羽のようにまっすぐに伸ばされた髪。
そのいで立ちは武家の娘であろう。
そのような女が何故、今そこに立ち、私にそれを問うのか理解に苦しんだ。
「何も思わぬ。私という災害に会ったものは皆私の血となり肉となり力になるのだ」
「…あなたは幾年、そうして生きてきたのですか」
ゾクゾクと怒りが湧き上がり、すぐに女の目の前に立ち私の血で染めてやろうと手をかざす。
瞬きすらしない。
「何故、恐怖を感じない」
なぜかは知らぬ。それ以上、危害を加える手で女を触れる気が失せる。
静かに、漆黒の瞳が私を見上げた。
「何も、持たぬからです」
何も感情のない目。
ただそこに、強く胸を貫くものを感じた私は、この女を殺すことが出来なかった。
「ここはお前の来る場所ではない。早々に立ち去れ」
「私はここで弔いをしに来たのです。死者を愚弄するのをおやめくださいまし」
癪だ。
気に喰わぬ。
なのに殺す気が起きない。
感情の起伏がない
強さも感じないこの女に
心底苛立ちが止まらぬというのに。
「興ざめした。命があった事、ありがたく思え」
そう捨て台詞を吐いて立ち去るなど、
今までの私にはあり得ぬことだった。
立ち去ったのは私の方。
後になって沸々と、その判断を下した私に対して苛立ちが沸き起こる。
このようなことなど初めての事だった。