第3章 お題小説 Lemon
いつの間にか雨は止んでいた。
でも、私たちは傘も閉じずに夢中で赤色のタイルだけを踏んだ。
傘を地面に捨てて、マンホールの上に立つ私達。
だけど、小さな円に二人は乗れなくて、吉野くんがバランスを崩す。
その腕を咄嗟にひいて、自分の方へ抱き寄せた。
「大丈夫かい?」
「す、すみません!!」
「マンホールの上で踊るのは危険だね。滑って転ぶところだった」
「そ、そうですね……」
ゆっくりと体を離すと、彼は顔を隠すように俯き前髪を右手でいじった。
何故恥ずかしがっているんだろうと不思議に思っていたが、先ほどのことが脳裏に過ると時間差で熱が私の顔に襲い掛かって来た。
「すまないね、くだらない遊びに付き合わせてしまって……」
「いえ……」
「雨も止んだことだし、ここまでで大丈夫だよ。今日はありがとう」
「いえ……」
気まずい雰囲気がお互いの間で流れる。
どうにかしていつもの雰囲気に戻そうとするが、そうしようと思えば思うほどから回っているような気がしてならない。
気まずさは色濃くなるばかりだ。
「……奈緒さん」
「なんだい?」
落ち着かない空気の中、吉野くんがゆっくりと私の名前を呼んだ。
何かを期待してしまう自分がいるが、一体何を期待しているというのか。
そんなのわかりきっているはずなのに、気付きたくない、気付かずにいたい。
吉野くんは、何度か口を開いては閉じてを繰り返し、何度目かで口を開くと大きく息を吸ってまっすぐに私の目を見つめた。
夜のように黒い瞳に私の情けない表情が映る。
「奈緒さん」
「……うん」
「……………………………………また、明日」
長い沈黙だった。
いろんな感情を押し殺し絞り出した彼の声に、なぜか胸が締め付けられ、瞳の奥がゆらゆらと揺れた、ような気がした。
「また、明日」
私もまた彼と同様に、なんとか絞り出して、それだけを言葉にした。
下手くそな笑みを浮かべた彼は私に背を向けると、一度も振り返ることなく歩き出した。
だから私も彼に背を向けて一度も振り返ることもせず、急いで家に帰った。