第7章 1 Corinthians 10:13
「櫻井、翔さん──」
聞き慣れない男の声に、振り返るのを躊躇った。
マンションの車寄せを出てすぐだから危険だと思って、聞こえないふりをした。
小さい頃から、こういうときはすぐに逃げろって教わってたし。
まだ音楽は流していないが、耳にイヤホンを入れててよかった。
でも数歩行ったところで、後ろから肩を掴まれた。
「櫻井翔さん、ですよね?」
振り返ると、中年の男が立っていた。
スラリと細身のジーンズの足は長く、モッズコートを羽織っている。
サラサラの髪を掻き上げると、少し笑った。
「…違います」
笑顔が胡散臭かった。
以前付き合ってた、紋々を入れてたヤクザの男と雰囲気が似てた。
冷たい…感情のない…
「そんなはずないんだけどな…俺、智の…」
「あ…」
もしかして、智の親戚の人かな…?
「…どなたですか?」
そう聞いたら、男はまた薄っすらと笑った。
「随分、用心深いんだね」
「そりゃ…こんな世の中ですから…」
「ふうん…」
男は俺をじろじろと眺めた。
こんなに普段、無遠慮に見られることがないから、どうしたらいいかわからない。
「あの、俺急ぐんで」
今日は小テストの日だから、遅刻できない。
幸い今まで単位を落とすことはなかったけど、智を部屋に連れてきてからは休みがちになっている。
成績はいい方ではない。
なんとか国試に受からなければならない身としては、これ以上成績が落ちることは避けたかった。
誰のためにこんなに頑張ってるのか、よくわからなかったけど。