第16章 Matthew10:34
「もう…無理…」
喉も枯れてしまって、なんとか絞り出した声は智に届いたのか。
シーツを握っていた俺の手を取ると、ちゅっとキスして。
それからガリっと噛んだ。
「痛っ…」
俺の反応を見るように、べろりとその傷口を舐めた。
「智…」
「俺にも、翔のぜんぶちょうだい?」
あげるよ…
もともと俺は、出会ったときからあなたの物なんだ。
「くれる?」
そんな不安そうな顔、しなくてもいい。
俺はあなたの物。
「あげる…」
涙が出てきた。
「あげるからぁ…」
もう声も出なくて、頷きながら両腕を大きく広げた。
「俺も…全部おまえの物だからな…」
また指を口の中に入れて、今度は優しく舐めてくれた。
「ありがとう。翔……」
同時に智の動きが激しくなって。
「智……智……」
譫言のようにただひたすら彼の名前を呼ぶけど、返事はなかった。
暗闇を抱きしめてるみたいに不安が襲いかかってくる。
「あ…あっ…ああっ…」
お願い、どこにもいかないで。
俺の手を離さないで。
「翔……」
苦しそうな智の顔を両方の手のひらで包んだ。
お願い
置いていかないで
「あっ…」
何かが俺のなかで弾けるような感覚がして。
そのまま目の前が真っ白になって。
「智っ…!?智っ…お願いっ…」
いかないで
いかないで
体の中の水分という水分が全部出ていって。
「翔…愛してる…」
真っ白な世界に飲み込まれる前に、智の声が聞こえた気がした。
それが、俺と智が一緒に暮らした
最後の瞬間だった
【Matthew10:34/第一部 END】