第1章 純情恋物語編
にの江「……で、祝言の日取りは決まったのかぃ?」
お智「えぇ、先だって、おとっつぁんと一緒に翔吾さんのご両親にご挨拶に伺って
お母様が、一番早い大安吉日に祝言を、と申されて…」
にの江「そうかぃ、それは良かったねぇ」
あたしは、お茶を一口すすって、にっこりとお智ちゃんに微笑んだ
例の一件の後
翔吾さんは、半分忘れかけていた簪をお智ちゃんに渡し、夫婦になる約束を交わした
お智ちゃんの身分は、勿論明かすわけに行かないので
貧乏長屋に住む浪人の娘として、翔吾さんの両親には紹介したらしいのだが
何しろこの気品に風格
何一つそつのない様子を見て、気に入らない親の有る訳もない
しかも
名だたる大名家のお出入りの持参金付きと来たもんだ
そりゃ、二つ返事で嫁に迎えて当然だろう
にの江「潤之助さんは、お屋敷にお戻りになったのかぃ?」
お智「いえ、祝言が済むまでは、長屋に居ると申しておりました」
にの江「……そう」
お智「……にの江姉さんは、後悔してらっしゃいますか?」
にの江「ん?」
お智「………父……いえ、松本殿と夫婦にならなかった事を」
にの江「………」
庭の楠木に、蜩が留まっていた
何処か寂しげに、カナカナと鳴いた蜩の声が不意に止んで
そいつがぽとりと、庭の白砂の上に落ちた
にの江「……夏が、終わるねぇ」
お智「え?」
にの江「さてと」
あたしは、湯呑みを卓袱台の上にコトリと置くと、立ち上がった
にの江「うちの風来坊が何時腹を空かして帰って来るか知れないからねぇ
ちょいと晩の物を買いに行くとしようかね!
…お智ちゃんも、一緒に行くかい?」
お智ちゃんは、一瞬戸惑ったようにぱちくりと可愛らしく瞬きをして
それから、翔吾さんがいたら、真っ赤になって鼻から血を噴く位に可愛らしく笑った
お智「はい!」