第1章 ゆるやかな、
丞相が言っていた。
姜維は“キリンジ”であると。
“キリンジ”ってなんだろうと思って書庫へ行き、いつもは大嫌いな活字に目を通す。
“麒麟児”とは、“特にすぐれた才能を持ち、将来を嘱望される若者”のことらしい。
私には難しくてよく意味はわからないけど、ようするにエリートさんってことなのかな。
ない頭を懸命にひねっていると、書庫の重い扉が開く音がした。
「こんなところにいるなんて、珍しいな」
「うわさの“キリンジ”さんだ」
なんだ急に、と訝しげな顔をしながらも“キリンジ”様はおもむろに書物を手に取り、それを読み始めた。
「丞相が、姜維は“キリンジ”なんだって」
「私は…私には、そうは思えないが」
そう言う姜維の表情は苦しげで、それでいてちょっぴり泣き出しそうで。
なんだか見てはいけないものを見てしまった気がして、私はとりあえず手元の書物に目を落とす。
「あの方の、丞相の教えを請えば請うほど、あの方の底知れぬ知識にただただ圧倒される。私など比べるにも足らぬ存在だ」
「ふーん…」
確かに丞相の考えはとても深くて、常人には丞相が普段考えていることも言葉に含まれた真意も汲み取ることはできない。
でも姜維だけは丞相の真意を汲み取った行動をしてるらしいから、“比べるにも足らぬ”わけではないと思う。
“らしい”というのは、私にはよく理解できないからだ。
「はやく、はやく、私はその高みに近付かなければいけない」
「それって本当に丞相が望んでいること?」
私には難しいことはわからない。
でも、丞相は姜維に丞相になってほしいわけではない、と思う。
「姜維は丞相のようにはなれないよ」
「そんなことは…私が一番わかっている。だから…!」
「そうじゃなくて、姜維は姜維のままでいいんじゃない」
姜維のままで、姜維らしく。
「丞相は“丞相のように教育する”ためじゃなくてあなた自身の知識を買ってくれたんだから」
よくわからないことを言ってしまったなと思い、密かに姜維の顔を覗いて見ると、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていて思わず吹き出してしまった。
「ぶっ、“キリンジ”さん、顔」
「…君が突拍子もないことを言うからだろう。だが、」
ありがとう、と微笑む顔がこの世のものとは思えないくらい美しくて、ちょっとだけ、ほんのちょっぴり、心臓が跳ねた。
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