第35章 どうか
みんなが仕事をしてるのに、二人で道場でこんなことをしてるわけにもいかない。
私たちは、道着からいつものスーツに着替えてると、別々に戻ろうと話した。
「じゃあ、また。」
「はい。お手合わせありがとうございました。」
「…デートの時間。作るからな。」
「はい。楽しみです。」
お互い独占欲が強いですって確認し合っただけの会話になったが、なんだか心が温かった。
いつも淡々としてるし、言葉に出して『好きだ』と言われたことはないけれど、降谷さんから想われているんだとわかったら、それだけでうれしかった。
準備を終わらせた降谷さんはさっさと、行ってしまったので、私も着替えて水分補給とかをして、後からゆっくり執務室に戻ろうとしていた。
「公安の夏目刑事だね?」
道場を出て、廊下を歩いていると、ワックスなのか整髪料なのかピシッとオールバックで固められた髪形の男性が立っていた。
「…。」
私は何も答えなかった。
「そんな構えなくていい。少し話をしたいだけだ。」
高そうな紺色のスーツに、腕時計。
いかにも厳格そうな男性だったか、急に柔らかく笑顔になって私に一歩近づいた。
「君にしか頼めないことを…。」
「…なんでしょうか。」
“公安の”夏目刑事と、この人は言っていた。
私の仕事をよく知っている人なのだろう。
「ここでは、話せない。ひとつ下の階で話をしよう。」
…道場からひとつ下。
私も入ったことないフロアだ。
上の限られた人間だけが行くような部屋しかない。
降谷さんよりももっと上の階級ーー…。
私は、唾を飲み前を歩く男性の後ろについていった。