第72章 結婚するまで帰れません(1) 岩泉一
本当なら体を支えたり手でも握ってやればいいのに今の俺にはいちかの歩幅に合わせることしかできなかった。出会ってから数ヶ月、思えば日を追うごとに一緒にいる時間は増えて自分でも気付かないうちにこのもどかしく感じる距離の理由も明確なものになってるのにまだ口にする勇気はなかった。
いつまで自分に“まだ”って言い聞かせて誤魔化したらいいんだよ、そんな自問自答を繰り返すだけで…。
「帰ったら寝てろよ」
「…うん」
「なんかあったら母ちゃんに言え」
「うん。……おおきに」
及川にも他の部員にも見つかることなく無事に裏門に着いた。すぐに見慣れた車が駐車場へと停まり、中からは血相を変えた母ちゃんが出てきた。
「いちかちゃん、大丈夫なの?」
「ごめんなさい、心配かけちゃって…。少し貧血気味で」
「貧血…。調子悪かったの?」
「朝は平気やったんですけど途中から…」
「病院は?今日は休日だから当番医調べて連れて行くわよ?」
「大丈夫です。横になってたら治るので」
「そう。じゃあ今から家に帰りましょう」
「そうしてやってくれ」
「じゃあ、一、あんたが車まで運んであげて」
「いや、ここまで普通に歩いてきたし」
「いちかちゃん貧血気味って言ってるのにあんた何してんの?」
「いや、だって歩けるっつーし」
「あんた無駄に体力だけはあるんだから女の子の一人や二人抱えられるでしょ?そのために鍛えてるんでしょ?」
「そのためじゃねぇんだけど」
「とにかく車まではちゃんと運んであげて」
「わーったよ!ったくうるせぇな。おい、いちか、俺の肩持てるか?」
「うん…、車まですぐそこだし大丈夫だよ?」
「いいのよ。こんな時くらい甘えなさい。ほら、一、抱えてあげて」
なんで自分の母親の前でこんなこっ恥ずかしいことしないといけねぇんだよ。そうボヤいても無駄なのは分かるけど、ここで拒否したら今夜の飯にありつけないかもしれない。ため息を一つついた後、意を決した。
「分かったよ…」