第32章 佞悪 ※
なかなかの距離だ。
最速で駆けても、まだ遠い。
半身を食いちぎられた兵士の元に蹲り、その手を握るその女を、巨人の目が捕らえた。
ゆっくりとそのバカデカい足を操って女に近づき、ニタリと捕食対象を見つけたと言わんばかりに気味の悪い笑みを浮かべた。
「――――――クソがっ………!!」
ギリギリまで馬で駆け、馬上から戦闘態勢に入る。
巨人の足元にアンカーを刺すと、気付いた巨人は鬱陶しそうに手を振り回して抵抗する。
すかさずアンカーを抜き取り、ガスを噴射して身体を捻って角度を変え、またアンカーを刺して今度こそ攻撃に転じる。
両足を切りつけ、体制を崩したところで項を削いだ。
この程度の動きで俺の息はあがらない。
異常なまでに呼吸が荒いのは、お前を失うかもしれない恐怖からだ。
情けなく震える声で、その名を呼んだ。
「―――――――ナナ……っ………。」
女が両手を握っていた兵士が、ちぎれた腹から漏れる空気音と混じって言葉を発した。
「―――――父さ……、母さ……ん………。」
「―――――あなたが命を懸けて救ってくれた兵士が、この世界を救うわ。あなたのお父さんもお母さんも、あなたを誇りに思うでしょう。あなたの死を、無駄にしない。どうか、安らかに――――――。」
女のその言葉を聞いて一筋の涙を流して、兵士は果てた。
「――――――おい、こんなところで……なにやってんだ………立体機動もつけず、もう助かる見込みのない奴のために………っ、死ぬ気か、馬鹿野郎!!!!!」
恫喝に近い声を上げると、その肩をビクッと震わせて、ゆっくりと振り返った。
「――――――あなたは誰、ですか………?」
濃紺の瞳が、俺を見上げる。
長い白銀の髪が、死臭を纏う風でゆらりと揺れた。