第81章 落月屋梁
二枚の翼が重なったエンブレムは、私の誇り。
それなのに―――――やがてそれはリンファの血で滲んで、貪り食われて無くなってしまう。
見たくない。
見たくない。
見たくない。
あの地獄のような光景が、血の色も、匂いも、肌に感じた空気の感触までも鮮明に蘇る。
それを掻き消そうと叫んでも、叫んでも、声も出ない。
――――――苦しい。
そうしてもがく私を、大きくて温かくて、いつもの安心するその匂いで包んでくれた。やがて少し落ち着いて―――――、ようやく、あの雪の舞う地獄から“今”に引き戻された。
耳元で、ゆっくりと安定的に刻まれるその鼓動は心地よくて―――――安堵の眠りに落ちていった。
長い眠りについていたみたいだった。目を開けると、エルヴィン団長の端正な横顔がぼんやりと目に入った。私が目を開いたことに気付いて、安心したという表情で私の目を見つめてくれる。
「――――ナナ、どうした、大丈夫か?聞こえるか?」
その優しい声に、小さく頷く。
「そうか、聞こえてはいるのか。良かった。――――ようやく、俺を見てくれた………!」
切なく顔をしかめたかと思うと、エルヴィンは私の指先を握って、頬にキスをしてくれた。
「――――辛そうな君を、見ていられない……。」
エルヴィンはいつになく弱気な一言を震えながら口にした。
ごめんね、と言いたいのに。
この唇は役に立たない。
処置をしてもらえたからか、右手はそう悪くなく動かせる。右手を伸ばして、エルヴィンの髪をさらさらと撫でる。
「良かった、右手は動かせるんだな。しばらく安静にして、とにかく回復に専念しよう。起き上がれるようになってから、これからのことを考えればいい。」
「…………………。」
「なんだ、何を言おうとしている?」
「…………………。」
私の動く唇を、懸命に読もうとしてくれる。
「待てよ……なんだ……?……―――ご、め、んね――――――?」
エルヴィンは少し驚いた顔で私を見つめた。そしてふっと笑う。
「――――謝らなくていい。頑張ったんだろう、ナナ。生きて帰って来てくれて、ありがとう―――――。」
繊細なガラス細工でも扱うように、エルヴィンはそっと私を抱き締めてくれた。